遠戚が死んだ。
90歳なんだから普通のことなのだが、
面白い人であっただけに、とても残念である。
久しぶりに会いたいと思って、今年の9月に会いにいったのだが、
それから2ヶ月。久々に人に会って、急に気が抜けたのかもしれない。
ほとんど家族以外と付き合いはなかったようだ。
遠戚は大正10年の生まれで、職業は作曲家である。坊主でもあるそうだ。祖父が死んだときに勝手に戒名を作っていて、ずいぶん変なことをする人だと思っていたが、今にしてみれば別に問題は無かったのだ。本人が死んでから初めて知った。
この人のことを、覚えている範囲でいくつか書き残しておきたい。
備忘なので、あまり面白くはないかもしれない。容赦してほしい。
【軍隊のころ】遠戚は幼いころからちょっと変わった人で、戦争で南方にいったのに全くトラウマを抱くこともなくボケることもなかったという人物である。戦争の話をしてくれといったところ、
「軍隊ほどいいところはない。朝は遅く起きてイモを食う。
昼になったら歌を歌って花札をやる。
夜になったらバナナを食べて南十字星を見る」
という説明をしていたそうだ。
帰国してから小中高校で音楽の先生をしていたが、ケンカをしてすぐにやめてしまう・・・
大学で教鞭もとっていたが、授業に来ない。何をしているかというと、作曲をしているのである。こういうへんてこりんな生き方が許された時代があったのだ。いや、許されてはいなかったのかもしれない。ともかく、この遠戚はそうしていたのだ。
【作曲家のころ】私が言葉もしゃべれなかったころが、この人の全盛期であった。しかしいい曲がかけたと行っては昼でも夜でもうちに電話をかけてくるので、母親が激怒していたという。私を育てるので大変なのに、夜に電話をかけられてはたまったものではない。そんなわけで、私の母親は今でもこの人が嫌いである。
そのほかの私生活も、とてもへんてこりんだった。
嫁、つまり祖母の妹は小学校の先生なので稼ぎは良い。本人は日々朝から晩まで作曲作曲で働かない。本人はヒモである。いや、坊主の仕事や作曲の仕事や、音楽大学の教授をしていたのだからヒモではないのかもしれない。しかし勤めてはすぐにやめてしまうので、いつも家にいたようだ。稼ぎの額がどのくらいだったのかは想像もつかない。実は嫁より稼いでいたのかもしれないし、全く稼ぎがなかったのかもしれない。
金とは全く無縁な人であった。貧乏というよりも、文字通り無縁。仙人のような人であった。
4畳半の書斎には机と筆と硯と五線譜が置いてあり、その横にカナヅチ、いや、ハンマーが置いてある。ハンマーを何に使うのかというと、肩を叩くのである。あまりにもハンマーで肩を叩きすぎたので、ついに肩がカナトコのように硬くなってしまった。仕方がないので医者に行った。
「なんでこんなに硬いんだ。普段どうしてるんですか」
「ハンマーで叩いておる」そんな事をしていたらこんなになるのも当たり前だと大いにおこられる。
家に帰って嫁に一言
「ハンマーで肩を叩くのはよくないらしいねえ」
「あったりまえじゃないですか!」まるで落語である。私も一風変わった人間という自覚はあるが、このレベルではない。
【晩年のころ】私はこの遠戚の晩年しか知らない。
記憶にある初めての会話は、高校のころだ。
「聖書は日本人にはわからない。日本人はヘブライ語を知らないからだ」といわれた。私はカトリックの信者なので、ちょっと違和感があった。遠戚は鈴木大拙の「東洋的な見方」ともう一冊、何かの本を薦めてくれた。そちらは忘れてしまった。
東洋的な見方はすぐに買ったが、あまり真面目に読まなかった。ただざっと読んでから、「空の空は全て空である」という想いは、たしかに東洋人でなければ理解しがたいところはある、と言ったところ、思いのほか嬉しそうな顔をしてくれた。集まった親戚は全員狐につままれたような顔をしていた。多分、他の人は話題にもしてくれなかったのだろう。
つい先日、最後に会ったときには、
「あれは坊主で音楽がわかる珍しい人なんだ」と教えてくれた。「東洋的な見方」は晩年になったらもう一度読もうと思っている。
【成仏】縁戚は、作曲家としての腕は良かったらしい。しかし、遠い立場から見れば魅力的な人だったが、身近な人には迷惑だと思われていたようだ。家族は善人だったが平凡な人だった。理解者はほとんどいなかったのではないか。寂しい晩年をすごしていたのかもしれない。
作曲の腕がどうだったかは、私にも全くわからない。曲を聞いたことがない。現代音楽は難しいから、わかるわけがないと思っていた。死んだと知ってから、初めて聞きたいと思った。だが、検索してみたらたくさん引っかかったが、音源がない。楽譜しかない。生涯でも聞くことができるかどうかは五分五分というところだろう。生前に聞いて、感想を言いたかった。わかっていないと言われるだろうが、それでも言いたかった。もう少し話をしたかった。残念だった。
人の死とは、やはり悲しいものである。
【略歴】
http://www.jlogos.com/webtoktai/index.html?jid=10173413