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by neo_logic
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【ハプスブルクとヨーロッパ】第1回
今日から飽きるまで、ハプスブルク家について書いてみます。
いつもながら唐突ですね。

【前置き】

ヨーロッパの歴史を紐解いてみると、このハプスブルクという奴は無視できません。
今でこオーストリアなどの中欧諸国は地味な工業国、観光立国ですが、
この帝国は中世~近世の数百年にわたり、ヨーロッパの主役の一つでした。
この国がどう興り、どう滅びていったかを知る事は、ヨーロッパの一側面を知る上でとても重要です。

ハプスブルク家は、現在のドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコあたりを治めていた一家ですが、長い歴史の間には拡大と縮小を繰り返しています。
とりあえず最初から見てみましょう。

【どうやって出てきたか】

1000年ごろのお話です。
ドイツから中欧にかけては、「神聖ローマ帝国」という国でした。
この国、フランスやイギリスと比べると非常にまとまりがない。

なんでまとまりがないかというと、森があったからです。
見晴らしが悪い。交通が悪い。
だから、たくさんの貴族の領地の寄せ集めみたいな国でした。

しかも首都が無い。

首都が無い帝国ってなんだって話ですが、さらに驚きなことに、支配者である神聖ローマ皇帝は、世襲制ではありませんでした。
王様の子供が王様になるわけではないのです。

じゃどうやって皇帝を決めてたかといいますと・・・

選挙で決めてました。
威厳ねーっすな。

選挙権を持っているのは選帝侯というえらい人たちです。これが7人いました。
この人たちがまず「ドイツ国王」を決める。

次にこのドイツ国王がローマ法王から帝王の冠をもらう。
こうすると「ドイツ国王」⇒「神聖ローマ皇帝」にジョブチェンジできるのです。
これでシュリケンとかムラマサが使えるようになります。ウソです。

さて、1254年ころ、この皇帝が突然いなくなってしまいました。原因はどうも、ドイツ国王らしい有力な奴がいなかったからのようです。

しかも国内のボヘミア(今のチェコあたり)から内戦をふっかけられ、皇帝の直轄領も次々に分捕られていました。

そんなこんなで1273年まで、神聖ローマ帝国は皇帝がいなかったのです。
帝国なのに皇帝がいないのです。
これは大空位時代と呼ばれています。

このころ、ハプスブルグ一家はもともとライン川のほとりでえらそうにしていました。ところが選帝侯によって、この家のルドルフ一世はいきなりドイツ国王に選ばれました。

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ルドルフ・フォン・ハプスブルク
1218 - 1291

あんまり有力な奴を皇帝にすると選帝侯が抑えきれません。かといって、あんまりロクでもない奴だとボヘミアに勝てません。アルプスの小領主を治めていた戦争が上手なルドルフ一世は、この両方の問題をクリアしていたのです。

さて、ボヘミアのオットカル2世は名前こそ間抜けですが、「プラーガ!」と叫びながら攻め込んできました。バイオハザード4にプラーガって寄生虫がいましたが、別にそれのことじゃないです。今のプラハのことです。ドイツ諸侯やローマ教皇にとって、オットカル2世はスラブという異民族です。そこで神聖ローマのえらい人たちは権利と領地を剥奪しまくっていたのですが、それにキレて挙兵したようです。

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オットカル2世
1230-1278


オットカル2世はウィーン(今のオーストリアの首都)に攻め込んできましたが、ルドルフはこれに大反撃を食らわせました。1278年、マルヒフェルトの決戦にて、ルドルフは奇襲攻撃で大勝します。マルヒなだけに。すいませんどうでもいいです。

そんなわけでオットカルは生け捕られて殺されました。ひどい。

この戦争で認められたハプスブルグ一家は、今後神聖ローマ帝国で重要な位置につくというわけです。

めんどくさいので、今日はここまで。
ものすごいやる気のなさっぷりですいません。おっぱい。もう寝よう。
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by neo_logic | 2008-09-02 20:50 | ハプスブルクとヨーロッパ
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