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by neo_logic
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【ハプスブルクとヨーロッパ】第2回
妙に好評だったので続けましょう。

【前回の補足】

さて、神聖ローマ帝国についてまずはちょっと補足しましょう。
これが当時の地図です。
青で囲んであるのが神聖ローマ帝国。

f0075557_18422243.jpg

・・・・・・・・あるぇ?

そのとおり、ローマが入っていません。
ルルドもエルサレムも入ってない。聖地として有名なところがほとんどありません。
そして前回言ったとおり、国には首都が無く皇帝は選挙で選ばれる。

これが神聖でもなくローマでもなく帝国でもない、と言われたゆえんです。

さて、話をハプスブルグに戻しますと、
前回神聖ローマ皇帝に選ばれたにも関わらず、ルドルフが死ぬと
選挙で蹴落とされ、皇帝の座からは降りることになってしまいました。

しかも彼の出身地アルプスの人たちはこぞって、
「ハプスブルグ、キライ。俺たちで国作ろうぜ」
と言い出し、3州で同盟を結びハプスブルグ家を3度の戦争でボコボコにし、
さらに神聖ローマの有力者、ブルグンド公とも渡り合いました。

結局、アルプスのこの3州は実力で、
神聖ローマから事実上独立してしまいます(正式な独立はもっと先)。
これが後のスイスです。

ハプスブルグは、領土こそオーストリアを基盤に、
それなりに広くはなりましたが、
経済でも戦争でもあまり成功者は出てきませんでした。


【汝、幸いなるオーストリア】

そして時は流れて150年が過ぎ、1440年。
久しぶりにハプスブルグから皇帝が選び出されました。
フリードリヒ3世です。

こいつは帝冠をもらいにローマへ行くとき、もう一つの人生の転機を迎えます。
美しいポルトガルの皇女、エレオノーレ・ポルトガルから熱愛を捧げられるのです。

「私は神聖ローマ皇帝のお后様になるの」
という15歳の少女らしいロマンチックな夢は見事実現しました。
そしてそのあとものすごいドッキリが待っています。

フリードリヒは貧乏な上、ケチだったのです。

エレオノーレはあっけにとられました。
風体も冴えず、覇気も無い、貧乏な旦那と暮らさなければなりません。
ポルトガル一家もこれはイカンと思ったらしく
エレオノーレに莫大な持参金を持たせました。

ハプスブルグ家は、この持参金によって突然大金持ちになります。

そしてこれが、戦争が下手な上、周り中が敵だらけだったハプスブルグ家に、
面白いアイデアを与えたのです。

「国なんて結婚次第でどうとでもなるな」

これに味を占めたフリードリヒ3世は、息子マクシミリアンを
有力者ブルグンド公の公女と結婚させ、
マクシミリアンはブルグンド領を治めます。
これは現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルグあたりです。

力をつけたマクシミリアンはローマ法王の許可を得ないで皇帝を名乗ります。
これを境に、神聖ローマ帝国は宗教国家から世俗国家になりました。

マクシミリアンはさらに息子・娘をスペイン王家と結婚させ、
孫と孫娘を、これまで敵対していたボヘミア王家、ハンガリー王家の
一族と結婚させます。

どういうわけか、結婚先の嫡子は戦争やら病気やらで次々死んでしまい、
ハプスブルグの血族だけが生き残った。

最終的に1530年ころ、ハプスブルグ家はこうなります(緑色がハプスブルグ領)。
f0075557_19312698.jpg

・・・・ヨーロッパを半分近くかっさらってます

しかもそれだけではないぞ。

ハプスブルグは神聖ローマ皇帝なので、
直接統括していなくても、ドイツの大半は名目上ですが、ハプスブルグの傘下です。
イタリアも教皇領は神聖ローマの味方です。
ポルトガルも同盟国家です。

ということは、フランスとイギリスとロシア以外のヨーロッパの大半に、
ハプスブルグの影響力がおよんでいたということになります。

ばかりか、この時代にはさらに植民地というものがあったのです。
このころには、コロンブスはもうアメリカについてますからね(1492年)。

スペインは中南米に進出し、莫大な植民地を作りました。
そのうえ、フィリピンやニューギニアの一部も領土にしていたのです。

つまり、オーストリア領主ハプスブルグは、
ヨーロッパの大半、中南米、東南アジアを
たった70年で手に入れたのです。
それもほとんど血を流さないで。

こんな事を達成した国家は、ヨーロッパ史上他にありません。

当時のハプスブルグは、ラテン語の詩でこう歌われています。

戦争など他の家にさせよ
幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ
軍神が与えし国は、女神にて授けられよう


この結婚政策を通じて、ハプスブルグ家は
「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるようになりました。

こうして一躍世界の覇者となったオーストリアは、
イギリス・フランス・ロシアと共に、
ヨーロッパ史のド真ん中に踊りこんできたのです。

そして強大な力を持ったハプスブルグ家には、
これまた強大なライバルが現れます。

その最初のライバルは、
西進する異教徒・オスマン=トルコです。

今回はここで終わり。
また気が向いたら続きを書きますね。
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by neo_logic | 2008-09-03 20:12 | ハプスブルクとヨーロッパ
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