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by neo_logic
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【ハプスブルクとヨーロッパ】第3回
【怖いものは】

当時のヨーロッパ人がもっとも怖がったもの。
「ペスト・オオカミ・オスマン=トルコ」

という言葉があるくらい、オスマン=トルコは恐怖の対象でした。
大半がキリスト教であるヨーロッパ諸国にとって、
イスラーム以上に怖い相手は病気と野獣くらいだったのでしょう。

さて、1453年、「トルコ艦隊、陸を行く」という
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的な奇策で、メフメット2世率いるトルコ軍は要塞コンスタンチノープルを攻略。
ヨーロッパは新たな危機を迎えました。

そりゃあ船の大砲を陸に運べば強いよね・・・

時代は流れ、トルコは今のギリシャをほとんど制圧する。
ハンガリーを陥落させ、ついにオーストリアの要衝ウィーンに到達します。

ハプスブルグはこれにガタガタと青ざめました。
時の皇帝カール5世(通風持ち)は、
ハプスブルグの歴史の中では、比較的戦争が得意な皇帝でした。

農民を逃がし、兵隊を集め、土塁を作り、その外周へさらに防壁を作ります。

それでもトルコはやってきた。
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【ウィーンを取り囲むトルコ軍】

はるか向こうに見える丸いのがウィーン城。
ちょっと多すぎねぇか、この人数。

まあいいや。ともかくスレイマン一世、別名「壮麗王」は、1529年、
イェニ・チェリと呼ばれる美少年兵団を率いて、ウィーンを取り囲みます。

銃で武装した軽装歩兵を主戦力とする新しい戦法に、ハプスブルグは防戦一方。
しかしこのとき幸運にもハプスブルグを救ったのが自然現象。

砂漠の民は、空から降ってくる白い何かに驚いて帰ってしまいました。

・・・・・・・ハプスブルグは何をやったんだ。
これが「第一回ウィーン包囲」のテンマツです。

これ以降、ヨーロッパはオスマン・トルコ対策に力をいれます。
ハプスブルグも徹底交戦を決意しました。
弱いくせに。

さて、今回は海の戦いです。

カール5世はトルコとの小競り合いに経験を持つ
海将アンドレア・ドーリアを雇い、神聖同盟を結成します。

神聖同盟のメンバーは
神聖ローマ帝国・ローマ教皇領・ジェノヴァ共和国・ヨハネ騎士団です。
神頼み過ぎです。

対するオスマン=トルコは地中海の大海賊、赤ヒゲのハイレディンを雇います。

そして1538年9月28日。
集結した神聖同盟はガレー船162隻! 兵士6万人!
対するオスマン=トルコはガレー船122隻、兵士はたった2万人です。

結果:神聖同盟のボロ負け
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【海賊にボコられる神聖同盟】


適当にかき集めすぎて指揮系統がバラバラだったのね・・・
不憫な。これが世に言うプレヴェザの海戦です。



【泣く子とルターには勝てぬ】

神聖同盟を結んだハプスブルグのカール5世は、
南側ではオスマン=トルコと戦ってましたが、
西でも戦ってました。相手はフランス。

なにしろフランスはオーストリアとスペインの間にあるわけです。

この当時、この国はどっちもハプスブルグ家のものだった。
カール5世はフランスをボコボコにしました。

キグナス氷河なみに弱っちいハプスブルグ家の、
貴重ないぢめシーンです。

ところがここで、意外なことが起こります。
宗教改革です。

当時ヨーロッパの大半を占めていた宗教はカトリックで、
このカトリック教会の神父アルブレヒトは贖宥状というものを乱売していた。

贖宥状というのは簡単に言えば、
「これを買うと罪が軽くなる」というどうしようもないお札です。

統一原理運動の信者が売ってる三十万円の壺みたいなもんだ。

※ ちなみに「贖宥状」を「免罪符」と呼ぶのは誤訳。
  罪が許される、という意味はありません。


この変な商売には、カトリック内部からも批判は続出していて、
特にルターという修道士がこれに大反対していた。

ルターは考え抜いたあげく、こういう結論を出します。

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「カトリックとか言って意味わかんねぇ。あいつらマジおかしい」


と言ったかどうかは知りませんが、ともかくルターは怒った。そして、
たまたまそう書いたころに、印刷というすばらしい技術が登場。

ヨーロッパ中に、ルターのダメだしが広がります。


カール5世はこれにびっくりしてやめさせようとしますが、
カトリック教会の金儲け主義にうんざりしていた人たちはルターを支持。
彼らはシュマルカルデン同盟を結成し、カール5世へ戦争を吹っかけます。

あわてたカールはフランスいぢめを止めて、
シュマルカルデン同盟に軍隊を向けます。1547年。

広大な領土と潤沢な資金を持っていたハプスブルグ軍は戦場では大活躍。
しかし、勝っても勝っても勝っても、ルター支持者は増え続けていきます。

カールは悟りました。
「戦争に勝てても、常識には勝てない」

疲れきったカールは、1555年にアウグスブルグの宗教和議で、
ルターの新宗教「プロテスタント」を認めます。

よく違いがわからないと言われますが、
プロテスタントカトリックは同じキリスト教でも、
ゴッグズゴックくらいの違いがあります。
なに? かえってわからない? 知るか。

こうして、ヨーロッパの宗教は「プロテスタント」と「カトリック」の2つになるわけです。

翌年、限界を悟ったカールはスペインの小さな家に引退。

そして1558年。
戦い、戦い、戦いに明け暮れた神聖ローマ皇帝は、
亡くなった妻とのささやかな思い出を胸に、
独り寂しく一生を終えたのであります。


次回はヨーロッパを焦土と化した30年戦争を取り上げます。
他にも要望があればどうぞ。
要望でなくても、なにかしらコメントをくれると私が喜びます。
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by neo_logic | 2008-09-04 22:48 | ハプスブルクとヨーロッパ
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