セキュリティ系エンジニア。IT技術について書いているふりをしています。
by neo_logic
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
Twitter
Twitter
検索
カテゴリ
その他のジャンル
記事ランキング
【ハプスブルクとヨーロッパ】第4回
【スペインの落日】

前に見たとおり、ハプスブルグ家はフランスを挟んで
スペインとオーストリアに別れていました。

f0075557_20304310.jpg


カール5世の死後、ハプスブルグはスペイン系とオーストリア系に二分され、
別々の道を歩むことになりました。

今回はスペイン=ハプスブルグのフェリペ2世の話をします。

この人はカトリックの世界征服の夢にとりつかれ、
ユダヤ教を信じている少数派のユダヤ人を迫害したり、
プロスタントが虐殺されると記念メダルを作ったりするような奴でした。

この狂信者は1571年、レパントの海戦で、カトリックの宿敵、
イスラームのオスマン=トルコを倒し、逆襲を果たしてもいます。

さて。

もともとカトリックは貴族の世の中に都合よくつくられており、
「生まれに文句を言うと天国へいけないぞ」と言っていた。

ところがオランダのプロテスタントは
「一生懸命に働けば神様は天国に入れてくれる」
という教えを信じていた。出世を認めていたのです。

フェリペはこれが気に入らなかった。
それでオランダ人を生き埋めにしたり火あぶりにしました。

↓まあ、そんなことしそうな顔だよな・・・↓
f0075557_20322319.jpg


プロテスタントたちは、こいつは酷い奴だと独立戦争を起こします。
世界初の人権宣言がここで生まれました。

でもなぜ、強大なハプスブルグに対して、オランダは戦争をする気になったのか。
実は、このプロテスタントたちには味方がいたのです。
イギリスです。



【イギリスにフラれる】

イギリスはこれよりちょっと前に、
プロテスタントとは違う形でイギリス教会を作っていました。

カトリックは離婚を認めないので、キビチイ姉さん女房から逃げたかった
イギリス王ヘンリー8世は自分で宗教をでっちあげ、
カトリックを辞めてしまったのです。

よく勘違いされますが、イギリス教会(別名英国聖公会)はキリスト教ですけど、
カトリックでもプロテスタントでもありません。

ちなみにこの英国教会を扱ったマンガに、平野耕太の快作「ヘルシング」があります(下図)。
f0075557_2226379.jpg


このイギリスが、対岸のオランダへ資金を提供していた。

フェリペはここでふと思いつきます。
イギリスが味方だったら、オランダなんかケチョンケチョンだZE

フェリペはイギリスに近づこうと、当時の女王に結婚を迫りました。
この女王というのは映画にもなったエリザベス1世のことです。

「イギリス教会なんか捨てて、俺と一緒になろうZE」

と口説き始めます。エリザベスは言いました。

f0075557_20424638.jpg

「ありえない。キモすぎ。死ねばいいのに」


エリザベスはヘンリー8世をはじめとするロクでもない男に幻滅している、
独身主義のウーマンリブ(死語)です。

「アタシの旦那はイギリスよ」
という言葉はあまりにも有名。

フェリペみたいな電波オトコが相手にされるわけがありません。
しかしアホの逆恨みは恐ろしい。

「てめえの国の海賊がうちの船に迷惑かけてるんだよ!」
とかなんとか、エリザベスに言いがかりをつけてきます。
並みのストーカーなんかメじゃないね。

ところが女傑エリザベスは引っ込みません。
「もっと徹底的にやっちゃってよ」
と、海賊にたっぷり軍資金を渡します。怖いわぁ。

振られたキチガイは、これでついにキレます。



【イギリスと戦う】

フェリペはレパントの海戦で強敵オスマン=トルコをも打ち破った
スペイン=ハプスブルグの大艦隊を一手に集め、地中海を出て北上、
イギリスへ攻撃を仕掛けます。

ハプスブルグ軍:艦船131隻(ほとんどが大型船) 兵員30000人
イギリス軍:艦船105隻(ほとんどが小型船) 兵員15000人


一見ハプスブルグが勝ちそうです。

しかし、ここには数字に見えない真実がたくさん隠れています。

1.レパントで活躍した提督サンタ・クルスが出撃前に病気で死んだ。
2.ハプスブルグの船は大きくて遅い。
3.ハプスブルグの大砲は射程が短いものが多い。
4.ハプスブルグの船は穏やかな地中海で戦うための、手漕ぎ(ガレー)船が多い。
  イギリス沖は波が高いが、そこで主力となる帆船がなかなか集められない。
5.ハプスブルグの戦術は一隻ごとに方法が違う、騎士の戦い方。


イギリスはこれをよーくわかっていました。
賢明なエリザベスは次のような作戦を立てます。

1.戦争なれしている大海賊ドレークを司令官にした。
2.小さくて速い船を用意。
3.射程が長い大砲を特化して装備。
4.帆船を主力に据える。
5.船どうしの連携をがっちり取る、軍隊の戦い方を訓練する。


1588年7月21日、両軍いざ衝突。
f0075557_21153127.jpg

信号旗を揚げて精密な連携を取り、機動力を活かして
アウトレンジ(相手の射程の外)から砲撃するイギリス艦隊に、
めいめいかってのハプスブルグ艦隊は全く歯が立ちません。

10日間にわたる6回の戦闘で、ハプスブルグ側は全て敗北。
命からがらスペインに戻ってきたとき、帰還したのはたったの54隻でした。
兵隊も2万人が命を落としました。完敗です。

イギリスは高らかにこう宣言しました。
「スペイン無敵艦隊、我が英国が討ち取ったり」

※ ちなみに、無敵艦隊って有名な言葉ですが、これは自分たちでそう名乗ったわけではなく、
   イギリスがこの戦争に勝ったときに初めて使った言葉です。
   そう、これはイギリスの皮肉なのです。


スペイン・ハプスブルグはこれ以降、没落へむかって一直線となります。
フェリペ2世はカトリックにこだわりすぎた、時代を読めない王様だったのです。



【もう一つのお話】

ところで、この時代を生きた有名なスペイン人は、フェリペ2世以外にもう一人います。
それがセルバンテスです。

この人ね。
f0075557_22115114.jpg
・・・・・・・・・・違った。

この人ね。
f0075557_2214276.jpg

この人はレパントの海戦に従軍して、左腕が不自由になりました。
その後、無敵艦隊の食料係を勤めていましたが、
無敵艦隊が敗北して失業してしまいました。
とてもかわいそう。

でも、これが私たちにとってはとてもありがたいことなのです。
特に、レパントの海戦で負傷したのが左手で良かった。

彼は残った右手で、スペイン文学の最高傑作、
「ドン・キホーテ」を書き上げたのですから。


ドン・キホーテのあらすじはいまさらですが、
騎士道ロマンにあこがれたスペイン人のおじいさんが、
風車と対決して吹っ飛ばされるって話です。

今日の話を読んだ方なら、何かを連想しませんか。

風車といえばオランダが有名です。
そしてオランダは、スペインのフェリペ2世から、
プロテスタントが独立戦争を起こした場所でしたよね。

古い習慣にこだわった、オランダを倒そうとしたスペイン人。
これはフェリペ2世のことなのです。

セルバンテスはスペインの未来を予想していた。
オランダの新しい動きに、古臭い考えじゃ追いつけないよ、
ということをわかっていた。時代を先取りしていたのです。

だから名作と呼ばれるのです。

ロシアの文豪、ドストエフスキーに
「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、
 人の心の洞察者である偉大な詩人によって、
 ここに見事にえぐり出されている」


と絶賛された「ドン・キホーテ」の作者は、このようにスペイン・ハプスブルグと深いつながりをもっていたのです。




f0075557_21505368.jpg


「30年戦争はどうなったのよ」







・・・・・・・・・・ごめん、そこまで行かなかった。
[PR]
by neo_logic | 2008-09-05 21:59 | ハプスブルクとヨーロッパ
<< 【ハプスブルクとヨーロッパ】第5回 【ハプスブルクとヨーロッパ】第3回 >>