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【ハプスブルクとヨーロッパ】第7回
もともとハプスブルグの勉強をせざるを得なかったので、
しょうがなく始めたのですが、なんだかだんだんノリノリになってきました。
まあ、今日も楽しく行きましょう。



【またトルコだ!】

神聖ローマが有名無実化したので、ハプスブルグ家はとりあえず
自分の領地だけをまとめていきます。だいたいこんな感じ。
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肌色がハプスブルグ家。現在のオーストリア・チェコ・ハンガリーあたりですね。

ハプスブルグ家は、カネも兵隊も領土も減ってしまいましたが、
カトリックだけでまとまったので、かえって結束力は高まります。
とりあえず盛り返しの時期に入る。

ところが、ここでまたヨーロッパの天敵トルコがやってきます。
ハンガリーを蹴倒してガンガン北上。

またもウィーンは取り囲まれました。
1683年、第二次ウィーン包囲です。

ウィーンを守る兵隊は4千人。
トルコは20万。

ハプスブルグには良将のオイゲン公がいますが、
たとえ強くたって、50倍の兵力に囲まれりゃあたまりません。

しかし、この危機にまた奇跡が起こります。

基本的に、ハプスブルグには幸運がついて回るのです。

「キリスト教が負けてたまるかい」
と北から援軍がやってきます。ヤン3世率いるポーランド連合軍です。
ハプスブルグにすれば神の姿に見えたことでしょう。
f0075557_202502.jpg
【ヤン3世ソビエスキと愉快な仲間たち】


こうして、ハプスブルグはまたも生き残りました。
さらに後年、オイゲン公の活躍で同盟国ハンガリーのトルコも追い払います。

本当こいつら運がいいよな。



【スペイン・フランスに降る】

今度はスペイン・ハプスブルグへ目を移しましょう。
1700年。ハプスブルグのカルロスが死んだら、跡継ぎがいなくなりました。

これに大喜びしたのがフランス。
なにせこいつらはハプスブルグが大嫌い。
あの異教徒トルコが攻めてきた時に救けなかったの、こいつらくらいですよ。

「跡継ぎいないの? じゃあしょうがないなぁ!
 スペイン国王はフランスから出してあげるよ!」


誰も頼んでません、そんな事。
ダイエットしてる人にデコレーションケーキを持ってくるようなありがた迷惑です。

スペイン・ハプスブルグはもうヨワヨワなので、怖いいじめっ子に逆らえません。
頭にきたオーストリア・ハプスブルグが、フランスを後頭部からぶん殴りました。

   ↓オーストリア
  ∧_∧
  ( ・∀・)   | |
 と    )    | | ガッ
   Y /ノ    人
    / )    <  >__∧∩
  |ヽ/| //.  V`Д´)/    ←フランス
< ○ >        /
 ∨∨


これがスペイン継承戦争(1701年-1714年)です。
オイゲン公の活躍と周辺諸国の協力で、オーストリアは意外にも善戦。
しかし、ガタガタだったスペインはフランスから来た王様を認めてしまいます。

スペインの領土の一部は、オーストリアが引き継ぎましたが、
ついにここで、スペイン・ハプスブルグは消滅してしまうのです。

ところで、この戦争の講和は、1913年のユトレヒト条約で大体決まりました。
その内容をちょっとよく読んでみましょう。

・イギリスは、スペイン王国の奴隷貿易に参加できる。
・イギリスはスペインから、ジブラルタル及びメノルカ島をもらう。
・イギリスはフランスから、アカディアとニューファンドランド島をもらう。

f0075557_20413052.jpg

なんで今の文脈でイギリスが出てくるよ。

実はこのとき、並行してアメリカでもイギリスとフランスが戦争してたのね。
で、その流れでイギリスはオーストリア・ハプスブルグと組んでいた。

そんなわけで、全力でぶん殴りあってたフランスとオーストリアの横から、
ほとんどイギリスが利益をかっさらっていったわけです。

ひどい。
f0075557_20522268.jpg
ひどすぎる。


この後のポーランド継承戦争(1733-1738)でも
オーストリアとフランスがぶつかるけど、
どっちかっつーとロシアとザクセンがメインなので省略。

ただ、対トルコ戦争、スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争を通じて、
オーストリアのハプスブルグがかなり立ち直ったってことは重要です。



【戦争ばかりじゃつまらない】

どうしてハプスブルグ家が再興したことが重要なのか?

それは、1700年を越えたあたりから、
ハプスブルグ家ではバロック文化が発達するからです。

では、バロックとはなんぞや?

バロックとは、カトリックの精神にのっとった、イタリア生まれの建築様式です。
オーストリアはこれを引き継ぎ、本家イタリアにまで絶賛されました。

見よ、この豪奢な家々を。
これらはみんな、この時代にできたものです。

シェーンブルン宮殿
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メルク修道院
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カール教会
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バロック建築の特徴は、豪華な装飾、大理石の彫像や柱像、渦巻き模様の彫刻やレリーフ、色彩あふれるフレスコ画、巨大な鏡、シャンデリアなどです。

ともかくゴージャス。

バロックは、三十年戦争でカトリックを死守し、
ウィーン包囲でトルコを撃退したオーストリアの
「カトリックで良かった!」ヾ(*・∀・)/
と、いう自信の表れなのです。

さらにこのころ、ヨーロッパ最大の難病だったペストが減った。
「神様、ありがとう!」ヾ(*・∀・)/

冷静に考えると、戦争で生き残れたのは傭兵とか援軍のおかげだし、
ペストが減ったのは衛生処理が進んだからなのですが・・・



ま、まあいいや。
よかったね。
うん。


ええと、バロックに話を戻そう。悲しくなる前に。

バロックはさらに建築だけではなく、音楽や文学にも広がっていきました。
豪華な宮殿には、豪華な演劇や豪華な演奏がつきものです。

じゃあ演劇と演奏を混ぜてみましょう。オペラというジャンルが登場します。
これを上手に作れる作曲家はいないのか?

います。大天才・モーツァルトの登場です。
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他にもハイドンやらベートーベンやらもバロックです。
ウィーン音楽の黄金時代の到来です。

調子にのって浮かれてたハプスブルグ家は、
こいつらのパトロンをやってくれたわけです。

微妙な気分ですが、とりあえず喜んでおきましょう。

というわけで、今回はここまで。
ウィーンの町並みを見ながらのお別れです、ごきげんよう。
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by neo_logic | 2008-09-08 22:24 | ハプスブルクとヨーロッパ
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