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【ハプスブルクとヨーロッパ】第9回
【私の味方はどこに】

今回も、マリア・テレジアの話です。できれば前回も読んでね。

オーストリア継承戦争の第一幕で、いきなりプロイセンの攻撃を喰らったオーストリアは
主力のナイペルク伯爵指揮下20000をシュレジエンへ向けました。
フリードリヒ大王以下、プロイセンの20000はこれに真っ向から勝負を挑みます。

まあさんざん見てきた話ですが、
同数だとたいてい勝てない
わけです。

ましてやプロイセンは生粋の戦争屋です。
被害は互角ですが、シュレジエンは取り返せませんでした。

マリア・テレジアはこの敗戦の報に涙しました。
しかも神聖ローマ皇帝だった父、カール6世は前年に死亡します。

婿養子フランツと結婚して男子も生まれましたが、
それにしてもプロイセンのパンチが強烈過ぎました。

しかし、当事の弱肉強食なヨーロッパにおいても、
全くなんの理由も無く攻めてくるというのは
ルール違反です。

マリア・テレジアはオーストリア領内の貴族たちに救いを求めます。
ところが、イマイチこの大事態に対して反応がありませんでした。

バロック時代の浮かれ気分だったというのもありますが、
それ以上に、マリア・テレジアは成り行きでオーストリア大公になったただの娘さんです。

金も無い。

信用も無い。

軍隊も無い。

経験も無い。

知識も無い。

助言する者もいない。

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普段は味方ヅラしているイギリスまで、
「シュレジエンくらいあげたっていいじゃないか、人間だもの」
とか言い出します。

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「誰か、私を助けてくれる人はいないのかしら?」








【そうだ、ハンガリー 行こう】

マリア・テレジアはオーストリアの宮廷で、仕事もせず遊び暮らしている、
バブル期入社の使えねぇリーマンみたいな連中をさっさと見切り、
仲間探しの旅に出ます。

そして、旅の酒場ルイーダにて
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という情報を得ます。

ハンガリーは古くからのオーストリアの属国で、
マリア・テレジアは、ひいてはハンガリーの女王でもあるのです。

ですが、ここにも不穏な空気が流れています。
いっそ、この機会にオーストリアから独立してやろうかと
思っているハンガリー貴族たちまでいました。

それでも、もはや望みはここにしかありません。
マリア・テレジアは単身、ハンガリー議会へ乗り込みました。

当事彼女は23歳。
そのうえ3人の子持ちで、1人がお腹の中にいます。
政治や戦争なんて夢のまた夢としか思えない状況です。


【ハンガリー議会】
( ^▽^)σ「小娘が何しに来るんだよ」
(´。` )「よく来るよな。同じ国って言っても、敵みてーなもんじゃん」
(´、ゝ`)「殺せ、いいチャンスだ。殺しちまえ」


ところが、マリア・テレジアがハンガリーに来ると、
ハンガリーの貴族たちの態度が徐々に変わっていきます。

マリア・テレジアは忍耐強く、断固として意見を曲げず、オーストリアの窮状を訴えます。
熱論は5ヶ月も続きました。

父、カール6世の喪に服した黒のヴェールをまとい、
涙ながらに真情を吐露するテレジアの心に、
ついにハンガリーの貴族たちは胸襟を開いたのです。

【ハンガリー議会】
(゚▽^*)ノ「オーストリアは俺たちを認めたんだ!」
( ´∀`)「俺たちは昔から仲間だったんだ!」
(^◇^)o「マリア・テレジアは俺たちの女王だ!!」


ハンガリーは精鋭軍パンドゥールをオーストリアに提供し多額の軍資金を約束します。
そのうえ、自らの一族郎党まで戦いに参加することを誓約します。

こうして、弱体化しつつあったオーストリア軍に新たな核が登場し、
プロイセンに立ち向かう準備ができはじめてきたのです。



【国家再建へ向けて】

こうしてオーストリア継承戦争中盤以降、
ハプスブルグはハンガリーの参戦で勢いを取り戻します。

結局シュレジエンは奪われたけれど、痛みわけ。

ちなみに神聖ローマ皇帝位はどうなったって話ですが、
これは結局テレジアの旦那さんが継ぎました、
といっても、実質マリア・テレジアと旦那の共同統治です。

旦那は外交とか戦争とかはあまり上手ではなく、
むしろ財政再建とか科学振興に貢献しました。
今の日本に欲しいですな。

さて、ここから、マリア・テレジアが本領を発揮します。
プロイセン打倒をめざすには、うかうかしててはいかん。


国家の大改革に着手します。

1.国勢調査の実行
  貴族が領民を把握しているこの時代に、皇帝が全ての住民、家畜、家屋敷を
  調査したのです。「まさかできるわけがない」といわれましたが成功しました。
2.裁判所を行政から独立
  大貴族や富豪の都合がいいようにやっていた裁判制度を廃止し、
  公平で、適切な判断を専業の裁判官にやらせます。
3.軍隊の増強
  プロイセンに勝つために陸軍養成所を設立します。
  功績著しい将軍には、マリア・テレジア勲章を授与しました。
4.医療制度改革
  それまでの手術なんて血を抜くだけなので治るわけがありません。
  杉田玄白も学んだオランダ医学を取り入れ、各地に病院を設立しました。
  オーストリアの死亡率はこれで激減します。
5.教育制度実現
  貴族の家庭教師制度しかなかったような教育現場へ、
  義務教育を導入。小学校を作り、字を読める人が倍増します。
6.宗教改革
  カトリックの修道院や巡礼、祝祭があまりにも多すぎるので制限。
  1年の3分の1が祝日なんてばかげた時代はこれで終わりました。

これでようやく半分くらいです。一代でこれだけ大きく国家体制が変わったのはオーストリア史の中でもこの時だけです。



【女として、母として、人として】

マリア・テレジアは優秀だっただけでなく、優しく、気さくな性格だったそうです。
旦那のフランツとも仲が良かったし、子供は16人もいました。

シェーンブルン宮殿で、彼らは一家そろってモーツァルトの演奏を
聞いていたり、王宮の中だけではなく、外のコンサートへもお忍びで行って、
庶民と一緒に音楽を楽しんだりしていた。

大改革で民衆も一度はあわてましたが、女王の人となりが徐々にわかってくると、
彼らは次第に受け入れるようになってきました。

こんな話があります。

ある日、マリア・テレジアが王宮の外を散歩していると、物乞いの女の人が泣いていました。赤ん坊を抱いています。可愛そうに思ってマリア・テレジアが財布を開くと、
物乞いは怒ってテレジアの手を払ってしまいました。

「金貨で腹がふくれるものか!」

見ると、赤ん坊はぐったりとしていました。栄養失調で母親の乳が出ないのです。
マリア・テレジアはそっとその赤ん坊を抱くと、自分の乳房を吸わせたそうです。


実話かどうかはともかく、こういう話が生まれるほど慕われていたのです。

マリア・テレジアの改革は、単に君臨し支配するという政治ではなく、
国民に奉仕する政治という考え方をすでに取り入れていたのです。



【まさかの同盟】

さて、この女性的なマリア・テレジアにとって、
プロイセン王のフリードリヒ大王は心底嫌いな相手でした。

フリードリヒは男性至上主義者で、
「女は産む機械」と本気で言っていたのです。

どこかの政治家なら失言ですが、こいつは本気です。
オーストリア継承戦争で倒れなかったマリア・テレジアは、ここで決意を蘇らせます。

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フリードリヒには、絶対に借りを返す

そして、ついにフリードリヒ大王の度肝を抜く、大事件が起こるのです。
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マリア・テレジアは「300年の宿敵」
であるフランスと同盟を結ぶのです。

ここに、1750年の「外交革命」と呼ばれる、
ハプスブルグ=ブルボン同盟が誕生します。


さらにこの同盟へ、新興国ロシアも加わりました。

ハプスブルグ家のマリア・テレジア大公
ブルボン家のルイ15世夫人ポンパドゥール
ロシアのエカチェリーナ女帝


俗に言う「三枚のペチコート」にフリードリヒが囲まれます。

「弱体化したポーランドを占領しようぜ」
とか、フリードリヒは空気読まずに提案しますが、マリア・テレジアは
「そんなみっともないこと、やってられっか!」
と、第1回以降、参加を拒否。その1回も、
「生涯最大の不名誉」
と言っています。

なお、この各国でよってたかってポーランドを切り取った、
「第1回ポーランド分割」は1772年です。そのあとオーストリア以外で2回、3回とやったせいで、
ポーランドはほとんど消滅してしまいました。


ともかくそんなことが提案できるくらい、フリードリヒは強くて賢かったのですが、
女を本気で怒らせる男は、バカだということは理解していなかったようです。

次の7年戦争(1756-1763)で、プロイセンはいよいよこの3国を相手に戦います。
得意の戦術で次々敵軍を打ち払いますが、なにせ数が多すぎます。

フリードリヒは、乗った馬が2度も殺され、
さらに銃弾が胸のタバコ入れにぶつかって致命傷を避けたという、
マンガみたいな激戦にさらされます。

しかし、ハプスブルグ家があとわずかで本拠地ベルリンへ侵攻という直前、
同盟軍ロシアのエカチェリーナが死亡しました。
ハプスブルグ家はここで、慎重に軍を引き上げました。

もしマリア・テレジアがベルリンに攻め入っていたら?
フリードリヒは殺されていたかもしれません。


それは神のみぞ知るというところですが、
さすがのマリア・テレジアも、戦場の駆け引きだけはあまり上手ではなかったそうです。

ともかく、これで、二つのことが知れ渡りました。
一つは、プロイセンが強いということ。
もう一つは、オーストリアが強くなったということです。


プロイセンに負けずオーストリアは大きく成長しました。
その成長を支えたのは、国母と呼ばれたマリア・テレジアだったのです。
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オーストリア皇后・ハンガリー女王・ベーメン女王・パルマ女公・ロレーヌ公妃・トスカーナ大公妃
マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
(1717-1780)

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by neo_logic | 2008-09-10 23:37 | ハプスブルクとヨーロッパ
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