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【ハプスブルクとヨーロッパ】第14回
消えたファイルはマルウェアだー
消えないファイルは新しいマルウェアだー


はい、ウィルスの脅威から立ち直りました。
誰が見てるのかしりませんが再開します。



【偉人量産中】

長らく間が開いてしまったので、復習しましょう。

1860年以降のおはなし。

ハプスブルク家が治めていた中部ヨーロッパは、
新興国ドイツに敗北して、
他民族帝国のオーストリア=ハンガリーとして再出発。
南の脅威セルビア・ロシアと対立中。

産業革命期を向かえ、近代的な都市国家を建設。
みたいな感じでしたね。

さて、この時代のハプスブルク帝国には、
すごくすごい人たちがたくさん現れました。

たぶん、どれか一人は知ってるでしょう。

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ジークムント・フロイト

1856年 - 1939年


いきなり超有名人です。文学系の大学出てて、こいつを知らないやつはもぐりだ。
「実は子供ってえっちなんだよ! 大人が勝手に天使扱いしてるんだよ!」
という、当時の道徳から考えると、かなり破天荒なことを言った人です。
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後年、あまりにも性欲中心だった理論は批判の対象となりますが、
心理学分野ではやはりこいつを勉強しないと、話が始まりません。

次は美術の人。

f0075557_23164466.jpg
グスタフ・クリムト

1862年 - 1918年


えっちな絵を描いて有名になった人です。
              こんなの↓
f0075557_15147.jpg

この当時は、えっちなことをまじめに考えるのがタブーだった。

しかし、フロイトにしろクリムトにしろ、人間が本来持っている感覚から
目をそらすのは、ちょっと違うんじゃないの、と考えたのです。

んで、次。建築の人。

オットー・ワーグナー&アドルフ・ロース
こいつらは、
「機能的な建物は、機能美があるので格好いいのです」
と言った人ですね。過度な装飾を排除した、シンプルな建物をはやらせた。

こんなの作ったの。
f0075557_23253784.jpg


音楽の人。
アルノルト・シェーンベルク。
この人は、
「ドレミファソラシドを、全部平等な音だとして、コード無視して作曲した」
という人です。

ま、とりあえず聞いてみれ。
変な曲だねぇ。

こいつの作品は、オーストリアよりもむしろ、
前衛を好んだドイツで大絶賛された。



【おそるべきユダヤ人】

人間は人種・民族などによって優劣がつくわけではない、
というのは現代の常識。

でも本当は、やっぱりアタマのいい民族っているんじゃねーの。
とどうしても思ってしまうもの。

特にユダヤ人を見てると、こいつらやっぱなんか選ばれてねぇかなぁ、
と思ってしまう。

上であつかったシェーンベルクやフロイトはユダヤ人。

「地球は動かない」というせりふで有名な、哲学のエドムント・フッサール。

「世界は事実であることの全てである」という
何がなんだかよくわからないけどすごそうなせりふで有名な
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン

ほかにも作家では、
「人間が虫に変身した」ってので有名なカフカ。
シュニッツラー。
クラウス。

音楽家ではマーラー。
シュトラウス。
レハール。

これみんなユダヤ人。
f0075557_0464523.jpg

いいえ、事実です。


ハプスブルク帝国は多民族平等をうたっていたので、
それまで差別されてたユダヤ人にも「社会で活躍しろよ」と言った。

そしたらユダヤ人から天才が続々出てきました。

ハプスブルクとは直接関係ないけど、
アインシュタインやディズニーもユダヤ人だよなぁ。
やっぱなんか違うよ、こいつら。



【そして次の時代が来る】

さて、なんでこんなに文化人や知識人がでてきたのか。
ひとつはカフェ文化の発達です。

そして、これらの文化を維持できたのは、戦争がなかったから。

ところがこのころ、ハプスブルクは王家にあいつぐ不幸が発生。
当時の皇帝はフランツ・ヨーゼフだったのですが・・・

まず皇帝の弟がメキシコで戦死。
次に皇帝の皇太子が自殺。
王妃までテロリストに殺された。


平和で文化的な、民族平等をめざしたフランツ・ヨーゼフは
国民に愛された皇帝でした。それなのにこれでは、いくらなんでもやってられません。

f0075557_05144.jpg
「俺なんも悪いことしてねぇよ! もうグレた!」


やけっぱちになったのか、ヨーゼフは、
当時ちょっかいを出していたバルカン半島へ進出。

ロシア&セルビアのスラブ人コンビが、これを見てカチンと来ます

逆に、スラブ人が嫌いなトルコがこれを見て大喜び。

さらに、ドイツがこれを見て、
「じゃあドイツ→オーストリア=ハンガリー→トルコ
路線をつっぱしって、インドまで分捕ろうぜ!」


とか言い出します。
インドはイギリスの植民地。イギリスもカチンときます



【一触即発】

結局、状況はこんな感じになる。

ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス


しかしちょっと待ってほしい。
なんだか左より右のほうが強そうではないだろうか。

ドイツはともかく、戦争が不得意なオーストリアに、弱体化したトルコ。
相手は世界を植民地にしていたイギリスに、戦争が大好きなロシア&セルビア。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋にケンカを売るようなもんだ。


ところがこれを見て、フランスまで強い方に味方した。


ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス
                          フランス


なんだか絶望的な状況である。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋&北九州にケンカを売るようなもんです。


だから南進なんてやめときゃよかったのに。

そして、フランツ・ヨーゼフの後継者である、フェルディナンド大公が、
占領した南スラヴのサラエヴォへ行った時のこと。

大公夫婦は、ミリャツカ川にそってオープン・カーを走らせていました。

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ミリャツカ川


この日は1914年6月28日。
1389年にセルビアがトルコに負けたという、屈辱の記念日でもありました。
スラブ人たちは、苦々しい表情でこの皇太子を見つめていました。

大公夫婦はサラエヴォを巡視した後、パーティに出席する予定でした。

しかし彼らを待っていたのは、歓迎のクラッカーではなく、
ブローニングM1910半自動ピストルにこめられた、数発の弾丸だったのです。

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「死ね! オーストリアの犬め!」

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by neo_logic | 2008-10-05 01:02 | ハプスブルクとヨーロッパ
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