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カテゴリ:ハプスブルクとヨーロッパ( 16 )
【ハプスブルクとヨーロッパ】第6回
【前置き】

このころからヨーロッパ各国はそれぞれに強くなってきて、
しかも「勝てば官軍」的な発想が中心になるので、陣営が頻繁に変わります。

軍事事情だけじゃなくて、できるだけ文化的な話も混ぜたいのですが、
流れをつかもうとするとどうしても戦争が中心になる。耐えてください。

今回は30年戦争の後半2ラウンドを書きますが、その前に一言。

Q.30年戦争って言っても、ずっと戦争してたわけじゃないんだ?
A.そのとおりです。このころは「生産しながら戦争する」ほど
  効率的に産業を回転させるのは難しかったのです。なぜか。
  ガソリンエンジンがないからです。
  いわゆる産業革命がまだ来てないってことですね。
  生産しながら戦争する「総力戦」は、第一次世界大戦以降の概念なんですよ。




【第3ラウンド スウェーデン戦争】

1630年から35年にかけてが3ラウンド目です。

陣営はさっきと変わりませんが、
ヴァレンシュタインは出世しすぎたので怖がられて、クビになります。
これがハプスブルグの政治センスがないところだ。

ヴァレンシュタインがいないと勝ち目ねぇっての。
ハプスブルグに味方してたバイエルンが、今度はスウェーデンと戦って負けます。
ヴァレンシュタインと共に戦ったハプスブルグ側の司令官ティリー伯爵がここで死亡。

またこの戦いは、スウェーデンの新しい戦法の前に
テルシオ戦術をとった神聖ローマが完敗するという戦闘でもあった。

ここがすげぇ詳しいので、読むとよろしい。

「北のライオン」と呼ばれたスウェーデン王グスタフ・アドルフは
破竹の進撃でハプスブルグに迫りました。
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【グスタフ2世アドルフ】

すごくどうでもいいが、グスタフ・アドルフは十ヶ国語がわかったらしい。

ともかくハプスブルグ家は焦った。

((((;゜Д゜))) ど、どうしよう
      しょうがない。ヴァレンシュタインを呼ぼう・・・ ((((゜Д゜;)))


帰ってきたヴァレンシュタインはグスタフと決戦。

エ”アッ!!
f0075557_1132870.jpg
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帰ってきたヴァレンシュタインのスペシウム光線で
グスタフ・アドルフは戦死。

ところが、これでヴァレンシュタインはいらない子になってしまいました。
皇帝はヴァレンシュタインを恐れて暗殺

それはねーよ

酷い話だが、第3ラウンドもともかくハプスブルグは勝った。



【第4ラウンド フランス・スウェーデン戦争】

1635年。長い長い戦いが再開します。
フランス宰相リシュリューはいよいよ滅入ってきます。

3回の戦争で、全てハプスブルグが勝った。
けしかけたデンマークもスウェーデンも負けた。
頼みの綱だったグスタフ・アドルフも死んだ。

「もう俺がやらなきゃダメか・・・・」

いや、そもそも最初からお前がやれよ。強いんだから。

ここで、フランスのリシュリューは本格的に戦争を開始します。
といっても、そこは賢いフランスのこと。

f0075557_12155076.jpg


正面から神聖ローマ・ハプスブルグと戦う気にはならん。
神聖ローマ・ハプスブルグを支援している、スペイン・ハプスブルグを叩こう。
こっちのほうが弱そうだし。








そう、この発想がフランスを最後まで守ったのです。
フランスはヨーロッパのど真ん中で、ハプスブルグにしょっちゅうやられました。
リシュリューは知っていたのです。

できれば自分以外に戦争させるべき。
自分が戦争する時は、絶対に負けない相手とやるべき。


汚く聞こえるかもしれませんが、フランスはこの巧みな外交で、
現代まで生き残ってきたのです。生きてこそです。

まあフランスが全面的に軍事衝突しなかったのは、
国内での反乱もあったんですけどね
(フランス内部の話なので、ここでは割愛。ユグノーで検索してください)。


一方、グスタフ・アドルフの亡き後もスウェーデン・ヴァーサ家は
まだまだハプスブルグと戦う気満々です。なにせ軍隊が強いからな。

さらにこのころ、オランダの独立気分がいよいよ高まってきます。
オランダが独立を狙って参戦します。

ここで陣営を要約するとこんな感じになります。

スペイン(ハプスブルグ家)     VS     フランス(ブルボン家)

                            スウェーデン(ヴァーサ家)
神聖ローマ(ハプスブルグ家)    VS     オランダ


もうハプスブルグにヴァレンシュタインはいない。
ハプスブルグは度重なる戦闘でつかれきっていきます。

ハプスブルグは相手に何度も和平を申し込みますが、
えらそうに頼むので誰も話を聞きません。

負けに負けが重なり、プラハにいた神聖ローマ皇帝はウィーンに逃亡。
これが勝敗を決定的なものにしました。



【ようやく終了】

1648年、ウェストファリア条約でついに停戦が決定。
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【ウェストファリア条約締結】


この条約でハプスブルグは莫大な領地を失いました。
ばかりか、神聖ローマはこの戦争で事実上解体します。
もうそれぞれの家で勝手にやろうぜ、となった。

オランダとスイスも、ここで完全に独立します。

三十年にわたる長大な戦争。
ヨーロッパ最後の宗教戦争にして、ヨーロッパ最初の国際戦争は、
こうして幕を閉じたのです。

この戦争で、ドイツとボヘミアで死んだ人々は500万人とも言われます。
下に書いてあるのは、この当時の記録です。

十里歩いても、人一人、家畜一頭、雀一羽すら見えはしない。
家々は死体と腐肉で満ちており、もはや埋葬する者すらいない。
無実のうちに亡くなった人々は、神にただ復讐を願い叫ぶのみ・・・


・・・・・次はもうちょっと明るい話が書きたいよう。
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by neo_logic | 2008-09-07 12:59 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第5回
【どうでもいい前置き】

このシリーズは、一応、学校教育で学ぶ世界史の知識を中心にしています。
だからなんだというわけではありませんが、単なるムダ知識ではなく、
世界史を勉強した人と話が通じるようになればいいなと。

ただ、ハプスブルグ600年の歴史をすさまじい速さで書いているので、
かなり端折ってるし、複雑な背景も説明してません。そこらへんはご了承くださいね。
また、私もまだまだ不勉強なので、間違いなどあればご指摘もらえるとうれしいです。



【悲劇の始まり】

今回は30年戦争を取り上げます。

今回はスペインではなく、神聖ローマ帝国(ドイツ&オーストリア)の話です。

前に書いたとおり、ヨーロッパ大陸では「カトリック」と「プロテスタント」という
二つの勢力が衝突していました。

このころハプスブルグ家の王様は
オタクのルドルフ2世という人でした。

こいつは中川しょこたんもびっくりのガチオタで、
占星術とか魔術とか錬金術とかにどっぷりのめりこんでました。
王様なのに奥さんもいない。オタクに三次元彼女なんて必要ないんです。

↓なんか確かにオタクっぽい。f0075557_22194847.jpg





f0075557_2220762.jpg







そんなわけで弟にキレられて牢屋にぶちこまれた。
でも、この人のおかげで化学や天文学が発達した。
しょこたんには尊敬されそうです。



というわけで、宗教対立にハプスブルグ家はあまり絡まなかったのですが、
神聖ローマにはいろいろな家があるので、過激な奴らもいました。

1608年、ファルツ家の侯爵は「俺たちはプロテスタント・ユニオンだぜ」
と名乗り、プロテスタントの結束を強めます。

1609年、バイエルン家の侯爵は「俺たちはカトリック・リーグだぜ」
と名乗り、対抗します。

ラグビーかなんかで決着をつけそうな名前ですが、
もちろんそうはなりません。

これがヨーロッパ最大の悲劇、30年戦争につながっていくのです。



【第1ラウンド ボヘミア・ファルツ戦争】

この緊張感高まる中、さっきのオタクが退位してから、
ハプスブルグ家の中でもごりごりのカトリック野郎が
神聖ローマの皇帝になります。フェルディナント2世です。

カトリック・リーグは大喜び、
プロテスタント・ユニオンは面白くありません。

そしてある日のこと

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   ボヘミア・プラハ城       |
――――――――――――――┬┘
                         |
       ____.____     |   
     |        |        |   |   皇帝の代官を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |  ∧_∧
                      ( *´Д`)   たすけてー
                       ⊂ ⊂ )
                      ⊂ ⊂ ,ノo


プロテスタント・ユニオンの本拠地ボヘミアで、
神聖ローマ皇帝の代官が窓から捨てられるという事件が起きました。

信じられないかもしれないけど、これ本当にやったんだよね・・・
1618年の「プラハ窓外放り投げ事件」です。

皇帝は当然これに激怒し、全面戦争を開始します。

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「ふざけるなー!!!」










まあそりゃ怒るわな。

プロテスタント・ユニオンは各国に救援を求めますが、
思うように軍隊が集まりません。

一方、ハプスブルグ家にはカトリック・リーグが協力します。
同盟国のローマ教皇軍やスペイン・ハプスブルグ家もやってきます。

整理しましょう。

神聖ローマ(ハプスブルグ家)
神聖ローマ(カトリック・リーグ)  VS   ボヘミア(プロテスタント・ユニオン)
イタリア(ローマ教皇領)
スペイン(ハプスブルグ家)

こんなん負けるワケねぇよ。

第1ラウンドはハプスブルグ&カトリック・リーグが圧勝します。



【第2ラウンド デンマーク・ニーダーザクセン戦争】

このハプスブルグの勝利を見て、フランスはぞーっとします。
フランスはカトリックの国ですが、だからってハプスブルグと仲がいいわけじゃない。

フランスは悩みます。そしてこのころ、北にかなり有望な国がでてきました。
デンマーク&スウェーデンです。

フランスはこいつらとチームを組み、さらにイギリスとも結託します。

整理しましょう。


神聖ローマ(ハプスブルグ家)        フランス
神聖ローマ(カトリック・リーグ)  VS    デンマーク
イタリア(ローマ教皇領)            イギリス
スペイン(ハプスブルグ家)          スウェーデン


こんな感じ。

さあ、今度はヤバイぞ。

ところで、カンのいい人はわかるかも知れませんが、
フランスはカトリックです。
イギリスはイギリス国教会です。
デンマークとスウェーデンはプロテスタント。

つまり、この時点で、もう宗教とかどうでもよくなってます。
要はハプスブルグが怖い。

宗教より政治が優先する時代になってきたってことですね。

さて、デュマの小説「三銃士」にも登場するフランスの宰相リシュリューは、
デンマークの王様クリスチャン4世をそそのかします。

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フランス宰相リシュリュー「YOUやっちゃいなYO!」

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デンマーク王クリスチャン4世「MEやっちゃうYO!」





誰だお前ら。ジャニーズ事務所でも開くのか。

でも、これにはハプスブルグも悩みます。
なんだか気がついたら周り中が敵だらけ。
しかもボヘミア戦争のせいであまりお金が無い。ピンチです。

ところがここで、ハプスブルグにとんでもない人物が協力します。

地上最強の傭兵隊長、
ヴァレンシュタインです。


ちなみに、ハプスブルグ家に味方した陸戦の将軍で、
文句無く強かったのは、このヴァレンシュタインくらいです。

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【アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン】
1583年 - 1634年



ヨーロッパには、この人の名前を取ったボードゲームがあるくらいの有名人です。
すげぇルールが難しくて、俺の貧弱なアタマでプレイするのは無理でしたが。


さて、1625年。デンマークとハプスブルグが衝突します。

戦いの神様ヴァレンシュタインはここで暴れまくった。

密集した長い槍を持った兵隊を中央に配置し、
両翼に銃と弓で武装した兵士を展開し、
戦場に現れるや相手をぶちのめします。
スペインから学んだテルシオという戦術です。

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【これがテルシオ戦術だ】


まあ、こんな奴らに襲われたら勝てる気がしねぇわな。

1629年、デンマークは「リューベックの和約」で事実上敗北宣言。

第2ラウンドもハプスブルグの圧勝でした。



ちょっと中途半端ですが、今回はここまでです。
次回はこのヴァレンシュタインの最大のライバルとなった、
スウェーデン王「グスタフ=アドルフ」が登場します。
お楽しみに。
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by neo_logic | 2008-09-06 23:20 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第4回
【スペインの落日】

前に見たとおり、ハプスブルグ家はフランスを挟んで
スペインとオーストリアに別れていました。

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カール5世の死後、ハプスブルグはスペイン系とオーストリア系に二分され、
別々の道を歩むことになりました。

今回はスペイン=ハプスブルグのフェリペ2世の話をします。

この人はカトリックの世界征服の夢にとりつかれ、
ユダヤ教を信じている少数派のユダヤ人を迫害したり、
プロスタントが虐殺されると記念メダルを作ったりするような奴でした。

この狂信者は1571年、レパントの海戦で、カトリックの宿敵、
イスラームのオスマン=トルコを倒し、逆襲を果たしてもいます。

さて。

もともとカトリックは貴族の世の中に都合よくつくられており、
「生まれに文句を言うと天国へいけないぞ」と言っていた。

ところがオランダのプロテスタントは
「一生懸命に働けば神様は天国に入れてくれる」
という教えを信じていた。出世を認めていたのです。

フェリペはこれが気に入らなかった。
それでオランダ人を生き埋めにしたり火あぶりにしました。

↓まあ、そんなことしそうな顔だよな・・・↓
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プロテスタントたちは、こいつは酷い奴だと独立戦争を起こします。
世界初の人権宣言がここで生まれました。

でもなぜ、強大なハプスブルグに対して、オランダは戦争をする気になったのか。
実は、このプロテスタントたちには味方がいたのです。
イギリスです。



【イギリスにフラれる】

イギリスはこれよりちょっと前に、
プロテスタントとは違う形でイギリス教会を作っていました。

カトリックは離婚を認めないので、キビチイ姉さん女房から逃げたかった
イギリス王ヘンリー8世は自分で宗教をでっちあげ、
カトリックを辞めてしまったのです。

よく勘違いされますが、イギリス教会(別名英国聖公会)はキリスト教ですけど、
カトリックでもプロテスタントでもありません。

ちなみにこの英国教会を扱ったマンガに、平野耕太の快作「ヘルシング」があります(下図)。
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このイギリスが、対岸のオランダへ資金を提供していた。

フェリペはここでふと思いつきます。
イギリスが味方だったら、オランダなんかケチョンケチョンだZE

フェリペはイギリスに近づこうと、当時の女王に結婚を迫りました。
この女王というのは映画にもなったエリザベス1世のことです。

「イギリス教会なんか捨てて、俺と一緒になろうZE」

と口説き始めます。エリザベスは言いました。

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「ありえない。キモすぎ。死ねばいいのに」


エリザベスはヘンリー8世をはじめとするロクでもない男に幻滅している、
独身主義のウーマンリブ(死語)です。

「アタシの旦那はイギリスよ」
という言葉はあまりにも有名。

フェリペみたいな電波オトコが相手にされるわけがありません。
しかしアホの逆恨みは恐ろしい。

「てめえの国の海賊がうちの船に迷惑かけてるんだよ!」
とかなんとか、エリザベスに言いがかりをつけてきます。
並みのストーカーなんかメじゃないね。

ところが女傑エリザベスは引っ込みません。
「もっと徹底的にやっちゃってよ」
と、海賊にたっぷり軍資金を渡します。怖いわぁ。

振られたキチガイは、これでついにキレます。



【イギリスと戦う】

フェリペはレパントの海戦で強敵オスマン=トルコをも打ち破った
スペイン=ハプスブルグの大艦隊を一手に集め、地中海を出て北上、
イギリスへ攻撃を仕掛けます。

ハプスブルグ軍:艦船131隻(ほとんどが大型船) 兵員30000人
イギリス軍:艦船105隻(ほとんどが小型船) 兵員15000人


一見ハプスブルグが勝ちそうです。

しかし、ここには数字に見えない真実がたくさん隠れています。

1.レパントで活躍した提督サンタ・クルスが出撃前に病気で死んだ。
2.ハプスブルグの船は大きくて遅い。
3.ハプスブルグの大砲は射程が短いものが多い。
4.ハプスブルグの船は穏やかな地中海で戦うための、手漕ぎ(ガレー)船が多い。
  イギリス沖は波が高いが、そこで主力となる帆船がなかなか集められない。
5.ハプスブルグの戦術は一隻ごとに方法が違う、騎士の戦い方。


イギリスはこれをよーくわかっていました。
賢明なエリザベスは次のような作戦を立てます。

1.戦争なれしている大海賊ドレークを司令官にした。
2.小さくて速い船を用意。
3.射程が長い大砲を特化して装備。
4.帆船を主力に据える。
5.船どうしの連携をがっちり取る、軍隊の戦い方を訓練する。


1588年7月21日、両軍いざ衝突。
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信号旗を揚げて精密な連携を取り、機動力を活かして
アウトレンジ(相手の射程の外)から砲撃するイギリス艦隊に、
めいめいかってのハプスブルグ艦隊は全く歯が立ちません。

10日間にわたる6回の戦闘で、ハプスブルグ側は全て敗北。
命からがらスペインに戻ってきたとき、帰還したのはたったの54隻でした。
兵隊も2万人が命を落としました。完敗です。

イギリスは高らかにこう宣言しました。
「スペイン無敵艦隊、我が英国が討ち取ったり」

※ ちなみに、無敵艦隊って有名な言葉ですが、これは自分たちでそう名乗ったわけではなく、
   イギリスがこの戦争に勝ったときに初めて使った言葉です。
   そう、これはイギリスの皮肉なのです。


スペイン・ハプスブルグはこれ以降、没落へむかって一直線となります。
フェリペ2世はカトリックにこだわりすぎた、時代を読めない王様だったのです。



【もう一つのお話】

ところで、この時代を生きた有名なスペイン人は、フェリペ2世以外にもう一人います。
それがセルバンテスです。

この人ね。
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・・・・・・・・・・違った。

この人ね。
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この人はレパントの海戦に従軍して、左腕が不自由になりました。
その後、無敵艦隊の食料係を勤めていましたが、
無敵艦隊が敗北して失業してしまいました。
とてもかわいそう。

でも、これが私たちにとってはとてもありがたいことなのです。
特に、レパントの海戦で負傷したのが左手で良かった。

彼は残った右手で、スペイン文学の最高傑作、
「ドン・キホーテ」を書き上げたのですから。


ドン・キホーテのあらすじはいまさらですが、
騎士道ロマンにあこがれたスペイン人のおじいさんが、
風車と対決して吹っ飛ばされるって話です。

今日の話を読んだ方なら、何かを連想しませんか。

風車といえばオランダが有名です。
そしてオランダは、スペインのフェリペ2世から、
プロテスタントが独立戦争を起こした場所でしたよね。

古い習慣にこだわった、オランダを倒そうとしたスペイン人。
これはフェリペ2世のことなのです。

セルバンテスはスペインの未来を予想していた。
オランダの新しい動きに、古臭い考えじゃ追いつけないよ、
ということをわかっていた。時代を先取りしていたのです。

だから名作と呼ばれるのです。

ロシアの文豪、ドストエフスキーに
「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、
 人の心の洞察者である偉大な詩人によって、
 ここに見事にえぐり出されている」


と絶賛された「ドン・キホーテ」の作者は、このようにスペイン・ハプスブルグと深いつながりをもっていたのです。




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「30年戦争はどうなったのよ」







・・・・・・・・・・ごめん、そこまで行かなかった。
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by neo_logic | 2008-09-05 21:59 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第3回
【怖いものは】

当時のヨーロッパ人がもっとも怖がったもの。
「ペスト・オオカミ・オスマン=トルコ」

という言葉があるくらい、オスマン=トルコは恐怖の対象でした。
大半がキリスト教であるヨーロッパ諸国にとって、
イスラーム以上に怖い相手は病気と野獣くらいだったのでしょう。

さて、1453年、「トルコ艦隊、陸を行く」という
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的な奇策で、メフメット2世率いるトルコ軍は要塞コンスタンチノープルを攻略。
ヨーロッパは新たな危機を迎えました。

そりゃあ船の大砲を陸に運べば強いよね・・・

時代は流れ、トルコは今のギリシャをほとんど制圧する。
ハンガリーを陥落させ、ついにオーストリアの要衝ウィーンに到達します。

ハプスブルグはこれにガタガタと青ざめました。
時の皇帝カール5世(通風持ち)は、
ハプスブルグの歴史の中では、比較的戦争が得意な皇帝でした。

農民を逃がし、兵隊を集め、土塁を作り、その外周へさらに防壁を作ります。

それでもトルコはやってきた。
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【ウィーンを取り囲むトルコ軍】

はるか向こうに見える丸いのがウィーン城。
ちょっと多すぎねぇか、この人数。

まあいいや。ともかくスレイマン一世、別名「壮麗王」は、1529年、
イェニ・チェリと呼ばれる美少年兵団を率いて、ウィーンを取り囲みます。

銃で武装した軽装歩兵を主戦力とする新しい戦法に、ハプスブルグは防戦一方。
しかしこのとき幸運にもハプスブルグを救ったのが自然現象。

砂漠の民は、空から降ってくる白い何かに驚いて帰ってしまいました。

・・・・・・・ハプスブルグは何をやったんだ。
これが「第一回ウィーン包囲」のテンマツです。

これ以降、ヨーロッパはオスマン・トルコ対策に力をいれます。
ハプスブルグも徹底交戦を決意しました。
弱いくせに。

さて、今回は海の戦いです。

カール5世はトルコとの小競り合いに経験を持つ
海将アンドレア・ドーリアを雇い、神聖同盟を結成します。

神聖同盟のメンバーは
神聖ローマ帝国・ローマ教皇領・ジェノヴァ共和国・ヨハネ騎士団です。
神頼み過ぎです。

対するオスマン=トルコは地中海の大海賊、赤ヒゲのハイレディンを雇います。

そして1538年9月28日。
集結した神聖同盟はガレー船162隻! 兵士6万人!
対するオスマン=トルコはガレー船122隻、兵士はたった2万人です。

結果:神聖同盟のボロ負け
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【海賊にボコられる神聖同盟】


適当にかき集めすぎて指揮系統がバラバラだったのね・・・
不憫な。これが世に言うプレヴェザの海戦です。



【泣く子とルターには勝てぬ】

神聖同盟を結んだハプスブルグのカール5世は、
南側ではオスマン=トルコと戦ってましたが、
西でも戦ってました。相手はフランス。

なにしろフランスはオーストリアとスペインの間にあるわけです。

この当時、この国はどっちもハプスブルグ家のものだった。
カール5世はフランスをボコボコにしました。

キグナス氷河なみに弱っちいハプスブルグ家の、
貴重ないぢめシーンです。

ところがここで、意外なことが起こります。
宗教改革です。

当時ヨーロッパの大半を占めていた宗教はカトリックで、
このカトリック教会の神父アルブレヒトは贖宥状というものを乱売していた。

贖宥状というのは簡単に言えば、
「これを買うと罪が軽くなる」というどうしようもないお札です。

統一原理運動の信者が売ってる三十万円の壺みたいなもんだ。

※ ちなみに「贖宥状」を「免罪符」と呼ぶのは誤訳。
  罪が許される、という意味はありません。


この変な商売には、カトリック内部からも批判は続出していて、
特にルターという修道士がこれに大反対していた。

ルターは考え抜いたあげく、こういう結論を出します。

f0075557_22362766.jpg
「カトリックとか言って意味わかんねぇ。あいつらマジおかしい」


と言ったかどうかは知りませんが、ともかくルターは怒った。そして、
たまたまそう書いたころに、印刷というすばらしい技術が登場。

ヨーロッパ中に、ルターのダメだしが広がります。


カール5世はこれにびっくりしてやめさせようとしますが、
カトリック教会の金儲け主義にうんざりしていた人たちはルターを支持。
彼らはシュマルカルデン同盟を結成し、カール5世へ戦争を吹っかけます。

あわてたカールはフランスいぢめを止めて、
シュマルカルデン同盟に軍隊を向けます。1547年。

広大な領土と潤沢な資金を持っていたハプスブルグ軍は戦場では大活躍。
しかし、勝っても勝っても勝っても、ルター支持者は増え続けていきます。

カールは悟りました。
「戦争に勝てても、常識には勝てない」

疲れきったカールは、1555年にアウグスブルグの宗教和議で、
ルターの新宗教「プロテスタント」を認めます。

よく違いがわからないと言われますが、
プロテスタントカトリックは同じキリスト教でも、
ゴッグズゴックくらいの違いがあります。
なに? かえってわからない? 知るか。

こうして、ヨーロッパの宗教は「プロテスタント」と「カトリック」の2つになるわけです。

翌年、限界を悟ったカールはスペインの小さな家に引退。

そして1558年。
戦い、戦い、戦いに明け暮れた神聖ローマ皇帝は、
亡くなった妻とのささやかな思い出を胸に、
独り寂しく一生を終えたのであります。


次回はヨーロッパを焦土と化した30年戦争を取り上げます。
他にも要望があればどうぞ。
要望でなくても、なにかしらコメントをくれると私が喜びます。
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by neo_logic | 2008-09-04 22:48 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第2回
妙に好評だったので続けましょう。

【前回の補足】

さて、神聖ローマ帝国についてまずはちょっと補足しましょう。
これが当時の地図です。
青で囲んであるのが神聖ローマ帝国。

f0075557_18422243.jpg

・・・・・・・・あるぇ?

そのとおり、ローマが入っていません。
ルルドもエルサレムも入ってない。聖地として有名なところがほとんどありません。
そして前回言ったとおり、国には首都が無く皇帝は選挙で選ばれる。

これが神聖でもなくローマでもなく帝国でもない、と言われたゆえんです。

さて、話をハプスブルグに戻しますと、
前回神聖ローマ皇帝に選ばれたにも関わらず、ルドルフが死ぬと
選挙で蹴落とされ、皇帝の座からは降りることになってしまいました。

しかも彼の出身地アルプスの人たちはこぞって、
「ハプスブルグ、キライ。俺たちで国作ろうぜ」
と言い出し、3州で同盟を結びハプスブルグ家を3度の戦争でボコボコにし、
さらに神聖ローマの有力者、ブルグンド公とも渡り合いました。

結局、アルプスのこの3州は実力で、
神聖ローマから事実上独立してしまいます(正式な独立はもっと先)。
これが後のスイスです。

ハプスブルグは、領土こそオーストリアを基盤に、
それなりに広くはなりましたが、
経済でも戦争でもあまり成功者は出てきませんでした。


【汝、幸いなるオーストリア】

そして時は流れて150年が過ぎ、1440年。
久しぶりにハプスブルグから皇帝が選び出されました。
フリードリヒ3世です。

こいつは帝冠をもらいにローマへ行くとき、もう一つの人生の転機を迎えます。
美しいポルトガルの皇女、エレオノーレ・ポルトガルから熱愛を捧げられるのです。

「私は神聖ローマ皇帝のお后様になるの」
という15歳の少女らしいロマンチックな夢は見事実現しました。
そしてそのあとものすごいドッキリが待っています。

フリードリヒは貧乏な上、ケチだったのです。

エレオノーレはあっけにとられました。
風体も冴えず、覇気も無い、貧乏な旦那と暮らさなければなりません。
ポルトガル一家もこれはイカンと思ったらしく
エレオノーレに莫大な持参金を持たせました。

ハプスブルグ家は、この持参金によって突然大金持ちになります。

そしてこれが、戦争が下手な上、周り中が敵だらけだったハプスブルグ家に、
面白いアイデアを与えたのです。

「国なんて結婚次第でどうとでもなるな」

これに味を占めたフリードリヒ3世は、息子マクシミリアンを
有力者ブルグンド公の公女と結婚させ、
マクシミリアンはブルグンド領を治めます。
これは現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルグあたりです。

力をつけたマクシミリアンはローマ法王の許可を得ないで皇帝を名乗ります。
これを境に、神聖ローマ帝国は宗教国家から世俗国家になりました。

マクシミリアンはさらに息子・娘をスペイン王家と結婚させ、
孫と孫娘を、これまで敵対していたボヘミア王家、ハンガリー王家の
一族と結婚させます。

どういうわけか、結婚先の嫡子は戦争やら病気やらで次々死んでしまい、
ハプスブルグの血族だけが生き残った。

最終的に1530年ころ、ハプスブルグ家はこうなります(緑色がハプスブルグ領)。
f0075557_19312698.jpg

・・・・ヨーロッパを半分近くかっさらってます

しかもそれだけではないぞ。

ハプスブルグは神聖ローマ皇帝なので、
直接統括していなくても、ドイツの大半は名目上ですが、ハプスブルグの傘下です。
イタリアも教皇領は神聖ローマの味方です。
ポルトガルも同盟国家です。

ということは、フランスとイギリスとロシア以外のヨーロッパの大半に、
ハプスブルグの影響力がおよんでいたということになります。

ばかりか、この時代にはさらに植民地というものがあったのです。
このころには、コロンブスはもうアメリカについてますからね(1492年)。

スペインは中南米に進出し、莫大な植民地を作りました。
そのうえ、フィリピンやニューギニアの一部も領土にしていたのです。

つまり、オーストリア領主ハプスブルグは、
ヨーロッパの大半、中南米、東南アジアを
たった70年で手に入れたのです。
それもほとんど血を流さないで。

こんな事を達成した国家は、ヨーロッパ史上他にありません。

当時のハプスブルグは、ラテン語の詩でこう歌われています。

戦争など他の家にさせよ
幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ
軍神が与えし国は、女神にて授けられよう


この結婚政策を通じて、ハプスブルグ家は
「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるようになりました。

こうして一躍世界の覇者となったオーストリアは、
イギリス・フランス・ロシアと共に、
ヨーロッパ史のド真ん中に踊りこんできたのです。

そして強大な力を持ったハプスブルグ家には、
これまた強大なライバルが現れます。

その最初のライバルは、
西進する異教徒・オスマン=トルコです。

今回はここで終わり。
また気が向いたら続きを書きますね。
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by neo_logic | 2008-09-03 20:12 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第1回
今日から飽きるまで、ハプスブルク家について書いてみます。
いつもながら唐突ですね。

【前置き】

ヨーロッパの歴史を紐解いてみると、このハプスブルクという奴は無視できません。
今でこオーストリアなどの中欧諸国は地味な工業国、観光立国ですが、
この帝国は中世~近世の数百年にわたり、ヨーロッパの主役の一つでした。
この国がどう興り、どう滅びていったかを知る事は、ヨーロッパの一側面を知る上でとても重要です。

ハプスブルク家は、現在のドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコあたりを治めていた一家ですが、長い歴史の間には拡大と縮小を繰り返しています。
とりあえず最初から見てみましょう。

【どうやって出てきたか】

1000年ごろのお話です。
ドイツから中欧にかけては、「神聖ローマ帝国」という国でした。
この国、フランスやイギリスと比べると非常にまとまりがない。

なんでまとまりがないかというと、森があったからです。
見晴らしが悪い。交通が悪い。
だから、たくさんの貴族の領地の寄せ集めみたいな国でした。

しかも首都が無い。

首都が無い帝国ってなんだって話ですが、さらに驚きなことに、支配者である神聖ローマ皇帝は、世襲制ではありませんでした。
王様の子供が王様になるわけではないのです。

じゃどうやって皇帝を決めてたかといいますと・・・

選挙で決めてました。
威厳ねーっすな。

選挙権を持っているのは選帝侯というえらい人たちです。これが7人いました。
この人たちがまず「ドイツ国王」を決める。

次にこのドイツ国王がローマ法王から帝王の冠をもらう。
こうすると「ドイツ国王」⇒「神聖ローマ皇帝」にジョブチェンジできるのです。
これでシュリケンとかムラマサが使えるようになります。ウソです。

さて、1254年ころ、この皇帝が突然いなくなってしまいました。原因はどうも、ドイツ国王らしい有力な奴がいなかったからのようです。

しかも国内のボヘミア(今のチェコあたり)から内戦をふっかけられ、皇帝の直轄領も次々に分捕られていました。

そんなこんなで1273年まで、神聖ローマ帝国は皇帝がいなかったのです。
帝国なのに皇帝がいないのです。
これは大空位時代と呼ばれています。

このころ、ハプスブルグ一家はもともとライン川のほとりでえらそうにしていました。ところが選帝侯によって、この家のルドルフ一世はいきなりドイツ国王に選ばれました。

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ルドルフ・フォン・ハプスブルク
1218 - 1291

あんまり有力な奴を皇帝にすると選帝侯が抑えきれません。かといって、あんまりロクでもない奴だとボヘミアに勝てません。アルプスの小領主を治めていた戦争が上手なルドルフ一世は、この両方の問題をクリアしていたのです。

さて、ボヘミアのオットカル2世は名前こそ間抜けですが、「プラーガ!」と叫びながら攻め込んできました。バイオハザード4にプラーガって寄生虫がいましたが、別にそれのことじゃないです。今のプラハのことです。ドイツ諸侯やローマ教皇にとって、オットカル2世はスラブという異民族です。そこで神聖ローマのえらい人たちは権利と領地を剥奪しまくっていたのですが、それにキレて挙兵したようです。

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オットカル2世
1230-1278


オットカル2世はウィーン(今のオーストリアの首都)に攻め込んできましたが、ルドルフはこれに大反撃を食らわせました。1278年、マルヒフェルトの決戦にて、ルドルフは奇襲攻撃で大勝します。マルヒなだけに。すいませんどうでもいいです。

そんなわけでオットカルは生け捕られて殺されました。ひどい。

この戦争で認められたハプスブルグ一家は、今後神聖ローマ帝国で重要な位置につくというわけです。

めんどくさいので、今日はここまで。
ものすごいやる気のなさっぷりですいません。おっぱい。もう寝よう。
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by neo_logic | 2008-09-02 20:50 | ハプスブルクとヨーロッパ