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by neo_logic
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【ハプスブルクとヨーロッパ】最終回
お久し振りです。少々忙しかったのですが、
あと一歩でやめるのも心残りですからねぇ。



【宣戦布告】

さて、サラエヴォでオーストリア皇太子夫婦は殺されてしまったので、
ハプスブルクはこれを見て、セルビアへ宣戦布告です。

ところがこれを見て、ドイツもロシア・フランス・イギリスへ宣戦布告。
ハプスブルクはびっくりです。

o(゚д゚o≡o゚д゚)oえ? え?

そんなの相手にして勝てるのか?
味方は俺とトルコだぞ?

そして開戦直後、ボヘミアが離反してロシア側へ。
いきなりケチがつきました。

さらに、皇帝フランツ・ヨーゼフは86歳で死亡。
カール1世があとを継いで、なんとか休戦させようとします。

カール1世
f0075557_22181316.jpg
「こんなん勝てるわけねーよ」




【最期の戦い】

そもそもオーストリアは、南ヨーロッパで戦争を終わらせたかった。
ところが、なまじ同盟国のドイツが強いもんだから、
戦争はアジアやアメリカにまで拡大。

オーストリアは、兵器をドイツから買ってるので、
文句がつけられません。

ハプスブルク家最期の、悲愴な大あばれが始まります。

オーストリアのドイツ系、ハンガリー系、スラブ系住民は
意外にも奮戦。1915年にはポーランドを占領しました。

さらに南ではセルビア・モンテネグロも制圧。
イタリアにも侵入しました。

ところが、ドイツは中立だったアメリカにまで攻撃を開始。
たしかに、ドイツは戦争にはべらぼうに強いのですが、
とにかく敵はひたすら多い。


ハプスブルク最後の火種も、徐々に尽きていきます。
勝っても勝っても勝っても勝っても戦争が終わらない。
まるで一年戦争のホワイトベース部隊みたいです。



【戦争中盤】

状況は大体こんな感じ。紫がハプスブルク側。灰色が敵。
f0075557_22243135.jpg


強いイギリス・アメリカはドイツに任せて、
ハプスブルクの相手したメインの敵はロシア。
ロシアの軍隊はめっぽう強い。

革命中だったから戦争はしないと思ったのですが、
黒海が関わるならロシアも必死です。

ロシアは黒海がオーストリアに取られると、
他の海から船が出せないんですよ。凍るから。

そんなわけで、ハプスブルクはロシアと正面からぶん殴りあいます。
配下の盟友ハンガリーも得意の騎兵で頑張りますが、
頑張って勝てるなら苦労は無い。

相手は大砲と戦車ですよ。馬で勝てるもんですか。
戦国時代じゃないんだからさ。

そんなわけで、ロシアにがんがん負けていきます。
下の写真は捕虜になったオーストリア兵士たちです。
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まるでやる気のなさそうな感じです。

ハプスブルクは単独講和を目指しますが、時すでに遅しでした
戦争の終盤を過ぎるとオーストリアの軍部は完全にドイツの指揮下に入ってしまったからです。

戦うこともできない。
逃げることもできない。
降伏もできない。


座して死ぬのみ


1918年、連合国は大反撃に出ます。
同盟国トルコがここで降伏。

ここで、アメリカのウィルソン大統領が変な事を言い出します。

f0075557_225834100.jpg
「ハプスブルクは、いろんな民族を閉じ込めている、悪い国だ」


え、それはおかしい。ハプスブルクは独立できない小国をまとめ、
周囲の大国に抵抗していた国家だったはずです。

大体、なんで多民族が前提のアメリカに、
そんな事を言われなけりゃならんのでしょうか。


と、言いたいのですが、そんな理屈は無視されます。
ロシアの北上に、ハプスブルクは手も足も出なくなりました。

f0075557_22283387.jpg
もうだめだー




【帝国、ついに解体】

結局1918年11月、ハプスブルク家は敗北を認め、カール1世は退位しました。

帝国は完全解体し、オーストリアは共和国として再出発します。

いがみ合ったり手を組んだりしながら、長年連れ添った旧友、
ハンガリーも、ついにここで独立します。王の無い王国として。

こうして、ハプスブルク家が治めた大帝国は、
ついにヨーロッパの地図から姿を消すことになるのです。

聞こえてくるのは、次の時代の足音。
ファシズムと自由主義がやってくるのです。



【おわりに】

さて、ものすごいスピードで、オーストリア1000年の歴史を語ってまいりました。
いろいろすっ飛ばしたのが残念ですが、まあ私の根性ではこれが限界です(笑)

ハプスブルクといのは、とても奇妙な国家です。
多くの人々が複雑にからまりあいながら、大版図を維持してきたという大きな特徴があるからです

戦争では弱かったけれど、多民族の複雑な構成を維持し、
絶妙にバランスを取りながらヨーロッパの中部を維持し続けた政治は、
他の国には見られない、知恵と努力の結晶でした。

日本の学校で勉強する世界史には、
ハプスブルクの歴史は断片的にしか登場しません。

「カール五世? マリア・テレジア? パラツキー? 誰?」
というのが、今の日本人の「普通」でしょう。

「今は中欧って言うよね。昔は東欧だったけど」
と良くいわれてますが、もともとが中欧なのです。
ソビエト共産主義の時代に、一時期だけ東欧という地域ができたのです。

「ヨーロッパの大半を占領したのって、ナポレオンとヒットラーだけだよね?」
という人もいるでしょう。しかしハプスブルク家はナポレオンの500年以上前にそれをやりました。

「ヘクサゴナーレ? 中欧イニシアチブ? なにそれ?」
というのが、多くの人の反応でしょう。

ヨーロッパの小さな工業国は、今新たにヨーロッパで結束を強めています。
イギリス・ドイツ・フランスにも並ぼうと努力しています。

かつて協力しあったハプスブルクのメンバーは、
民族紛争や領土紛争を起こさずに、協力し合っているのです。
言葉も文化も見た目も違う人たちなのにです。

ハプスブルクの遺産は、以前も述べたとおり、
他民族協働・共存の模範として、EUに取り入れられています。
それは単なるノスタルジーではなく、現実的な手段となっているのです。

第二次世界大戦と東西冷戦に隠れ、
ハプスブルク家の思想は長らく凍り付いていました。

しかし今、我々はこの国から、新たに多くを
学ぶ時期が来ているのかもしれません。



【挨拶】

ご愛読ありがとうございました。
とりあえず、このシリーズはこれで終了とさせていただきます。

ノリで始めた割りに面白かったですが、正直かなりしんどかったです。
当分、この手の記事を根詰めて書くのはやめときます。
毎回5冊の参考書とWikipedia見ながら必死に書いてたのですが、
私の根性ではこれが限界です。

しかも毎回、くだらない冗談のために画像を探すのが大変で・・・




もっと勉強したい人へ・・・


今回の話は、だいたい次の本を参考にしました。
興味がある人はぜひどうぞ。

加藤雅彦「図説ハプスブルク」河出書房新社
カラー写真がたくさん載ってます。
旅行行きたい人にも、趣味で歴史を知りたい人にもお勧め。
姉妹本の「チェコとスロヴァキア」もいい本です。

菊池良生「図解雑学ハプスブルク家」ナツメ社
テーマごとにページが分かれています。勉強するにはちょっと不便。
ハプスブルク家を楽しみたい人にはお勧めです。

江村洋「ハプスブルク家」講談社
新書です。カール五世とマリア・テレジアに愛を感じる本。
文章が多い割りに読みやすいです。

G・シュタットミュラー「ハプスブルク帝国史」刀水書房
本格的に勉強したい人のための本。これを全部読んでおけば、
少なくとも私よりは詳しくなれるはず。

H・コーン「ハプスブルク帝国史入門」恒文社
どこが入門だコノヤロウ、的な、本格の専門書。
1800年以降のハプスブルクの政治について詳しい。
史料がたくさん乗ってます。

南塚信吾 編「ドナウ・ヨーロッパ史」山川出版社
地域から中欧を見ることができる本。これも専門書です。
素人にはお勧めできないが、最近の研究成果も満載です。
このシリーズを読んでいれば「ヨーロッパ史には詳しいです!」
と言えるくらいにはなれます。

そんな感じです。
また中欧に行きたいです。

それではまた。
ここまで読まれた方は、なんか一言、残していってくれると嬉しいです。
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by neo_logic | 2008-10-26 22:48 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第14回
消えたファイルはマルウェアだー
消えないファイルは新しいマルウェアだー


はい、ウィルスの脅威から立ち直りました。
誰が見てるのかしりませんが再開します。



【偉人量産中】

長らく間が開いてしまったので、復習しましょう。

1860年以降のおはなし。

ハプスブルク家が治めていた中部ヨーロッパは、
新興国ドイツに敗北して、
他民族帝国のオーストリア=ハンガリーとして再出発。
南の脅威セルビア・ロシアと対立中。

産業革命期を向かえ、近代的な都市国家を建設。
みたいな感じでしたね。

さて、この時代のハプスブルク帝国には、
すごくすごい人たちがたくさん現れました。

たぶん、どれか一人は知ってるでしょう。

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ジークムント・フロイト

1856年 - 1939年


いきなり超有名人です。文学系の大学出てて、こいつを知らないやつはもぐりだ。
「実は子供ってえっちなんだよ! 大人が勝手に天使扱いしてるんだよ!」
という、当時の道徳から考えると、かなり破天荒なことを言った人です。
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後年、あまりにも性欲中心だった理論は批判の対象となりますが、
心理学分野ではやはりこいつを勉強しないと、話が始まりません。

次は美術の人。

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グスタフ・クリムト

1862年 - 1918年


えっちな絵を描いて有名になった人です。
              こんなの↓
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この当時は、えっちなことをまじめに考えるのがタブーだった。

しかし、フロイトにしろクリムトにしろ、人間が本来持っている感覚から
目をそらすのは、ちょっと違うんじゃないの、と考えたのです。

んで、次。建築の人。

オットー・ワーグナー&アドルフ・ロース
こいつらは、
「機能的な建物は、機能美があるので格好いいのです」
と言った人ですね。過度な装飾を排除した、シンプルな建物をはやらせた。

こんなの作ったの。
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音楽の人。
アルノルト・シェーンベルク。
この人は、
「ドレミファソラシドを、全部平等な音だとして、コード無視して作曲した」
という人です。

ま、とりあえず聞いてみれ。
変な曲だねぇ。

こいつの作品は、オーストリアよりもむしろ、
前衛を好んだドイツで大絶賛された。



【おそるべきユダヤ人】

人間は人種・民族などによって優劣がつくわけではない、
というのは現代の常識。

でも本当は、やっぱりアタマのいい民族っているんじゃねーの。
とどうしても思ってしまうもの。

特にユダヤ人を見てると、こいつらやっぱなんか選ばれてねぇかなぁ、
と思ってしまう。

上であつかったシェーンベルクやフロイトはユダヤ人。

「地球は動かない」というせりふで有名な、哲学のエドムント・フッサール。

「世界は事実であることの全てである」という
何がなんだかよくわからないけどすごそうなせりふで有名な
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン

ほかにも作家では、
「人間が虫に変身した」ってので有名なカフカ。
シュニッツラー。
クラウス。

音楽家ではマーラー。
シュトラウス。
レハール。

これみんなユダヤ人。
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いいえ、事実です。


ハプスブルク帝国は多民族平等をうたっていたので、
それまで差別されてたユダヤ人にも「社会で活躍しろよ」と言った。

そしたらユダヤ人から天才が続々出てきました。

ハプスブルクとは直接関係ないけど、
アインシュタインやディズニーもユダヤ人だよなぁ。
やっぱなんか違うよ、こいつら。



【そして次の時代が来る】

さて、なんでこんなに文化人や知識人がでてきたのか。
ひとつはカフェ文化の発達です。

そして、これらの文化を維持できたのは、戦争がなかったから。

ところがこのころ、ハプスブルクは王家にあいつぐ不幸が発生。
当時の皇帝はフランツ・ヨーゼフだったのですが・・・

まず皇帝の弟がメキシコで戦死。
次に皇帝の皇太子が自殺。
王妃までテロリストに殺された。


平和で文化的な、民族平等をめざしたフランツ・ヨーゼフは
国民に愛された皇帝でした。それなのにこれでは、いくらなんでもやってられません。

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「俺なんも悪いことしてねぇよ! もうグレた!」


やけっぱちになったのか、ヨーゼフは、
当時ちょっかいを出していたバルカン半島へ進出。

ロシア&セルビアのスラブ人コンビが、これを見てカチンと来ます

逆に、スラブ人が嫌いなトルコがこれを見て大喜び。

さらに、ドイツがこれを見て、
「じゃあドイツ→オーストリア=ハンガリー→トルコ
路線をつっぱしって、インドまで分捕ろうぜ!」


とか言い出します。
インドはイギリスの植民地。イギリスもカチンときます



【一触即発】

結局、状況はこんな感じになる。

ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス


しかしちょっと待ってほしい。
なんだか左より右のほうが強そうではないだろうか。

ドイツはともかく、戦争が不得意なオーストリアに、弱体化したトルコ。
相手は世界を植民地にしていたイギリスに、戦争が大好きなロシア&セルビア。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋にケンカを売るようなもんだ。


ところがこれを見て、フランスまで強い方に味方した。


ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス
                          フランス


なんだか絶望的な状況である。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋&北九州にケンカを売るようなもんです。


だから南進なんてやめときゃよかったのに。

そして、フランツ・ヨーゼフの後継者である、フェルディナンド大公が、
占領した南スラヴのサラエヴォへ行った時のこと。

大公夫婦は、ミリャツカ川にそってオープン・カーを走らせていました。

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ミリャツカ川


この日は1914年6月28日。
1389年にセルビアがトルコに負けたという、屈辱の記念日でもありました。
スラブ人たちは、苦々しい表情でこの皇太子を見つめていました。

大公夫婦はサラエヴォを巡視した後、パーティに出席する予定でした。

しかし彼らを待っていたのは、歓迎のクラッカーではなく、
ブローニングM1910半自動ピストルにこめられた、数発の弾丸だったのです。

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「死ね! オーストリアの犬め!」

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by neo_logic | 2008-10-05 01:02 | ハプスブルクとヨーロッパ