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by neo_logic
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【世界の武術】 第1回 柔道
【柔道とはなにか】

柔道とは、畳の上で柔道着を着て、一対一の対戦を行う武道です。

競技としての柔道は、つかんで、投げて、相手の背中が、
勢いよく畳についたら勝ちです。
また、寝技で締め、間接技を用いて、相手が降参しても勝ちになります。

ですが、柔道は単に勝ち負けを争う競技ではありません。
型稽古を通じた一人稽古もありますし、
対人の稽古でも、勝敗だけではなく、それを通じて心身練磨を行うこと、
むしろ、そのことこそが重要である、とされています。

日本国内の競技人口は20万人。
最も盛んな国はフランスで、競技人口が60万人です
(フランスの総人口は7000万人程度)。

また、キューバ、北朝鮮、韓国などでも盛んになっています。
大陸別に見ると、最も競技人口が多いのは実はアジアではなく、
ヨーロッパだったりします。

きわめて母数の多い武道であり、太極拳を除けば、
おそらく最多の経験者を持つ武道だと考えられます。

柔道の試合

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【柔道の歴史】

柔道が日本に生まれる前から、日本には徒手で行う武術がありました。
それが、古流柔術諸派(以下、柔術)です。

柔術とは、武士が刀を落としたときに素手で戦う技術として
考案されたものでした。

ですが、明治になって、刀を持ち歩くことが禁止されてから、
柔術は徐々に時代遅れとみなす動きが出てきたのです。

柔術に組み込まれていた、鎧を着てやる組討の手段や、
相手の手首を狙う当て身(相手の刀を落とすため)は、
もはや誰にも必要なくなってしまったのです。

そのころ、天神真楊流と起倒流を習っていた、
東京大学文学部にいた嘉納治五郎は、
「人を投げる」というのには、どういう理屈があるのだろう?
と、経験主義から合理主義へ、柔術を進化させることを考えていました。

加納治五郎(1860~1938年)

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その結果、嘉納は当身や鎧稽古を大胆に排除し、
崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作り、講道館を設立しました。

さらに嘉納は、囲碁や将棋から「段位」を取り入れ、
他流で言う「目録」相当の実力者に「黒帯」を与える事を考案しました。

柔道はその後、警察が行うべき武術として何を採用するか、を決める、
警視庁武術大会で、楊心流戸塚派と試合しました。

結果は2〜3の引き分け以外柔道の勝利。
これ以降、講道館柔道の実力が大きく認められるようになったのです。



【柔道の技術】

柔道の技術は、つかむ、崩す、投げる、という三点に集約されます。
相手の襟と袖を「つかみ」、
前後左右斜めの八方いずれかに、相手の姿勢を「崩し」、
不安定になった軸を払うか、もしくはそのまま浮かして「投げ」ます。

見事、投げ技が綺麗に決まったら、競技では「一本」となり、
即試合の勝敗が決定します。

単発では相手も抵抗しますが、連続技の中で、
相手の抵抗直後や、気力を欠いた瞬間を狙って技を仕掛けることで、
時には自分よりも大きな相手すら投げることが可能になります。

柔道においては、体力や気力もまた、技術と同様に重要な要素であり、
これが「柔よく剛を制す、剛よく柔を断つ」という言葉にこめられています。

なお、国際柔道の場合は、一本をとるよりも、それに準じる判定である、
「技あり」や「有効」、「効果」のポイントをとる事を優先する場合もあります。

特に、レスリングのようなポイント制になじみがあるヨーロッパの選手は、
こういった戦術を取ることが多いようです。

柔道は競技化する上で判定方式を取り入れたので、
国際柔道はそれを推し進めていったとも考えられます。

しかし、戦闘を目的として生み出された柔道が、
軽く転んだくらいで勝てるというのは思想に反するという考えもあり、
近年は再度、「一本」を重視するようにルールが変化しています。

柔道の投げ技である、「内股」の動画です。


なお、柔道には寝技もありますが、膠着状態になると、
すぐに「待て」がかかるため、
現在はほとんど寝技の決着を見ることは少なくなりました。

このため、柔道の寝技技術は、レスリング、サンボ、近代柔術などの
他の組技系格闘競技に比べて、大きく遅れています。



【柔道の練習】

柔道はメニューが細かく体系だてられており、
準備体操にも独特の練習法があります。

たとえば、寝技で組み伏せられた状態から脱出するため、
横を向いて寝た状態から、肩と足で勢いよく体を移動させる「エビ」などが
有名です。

また、柔道は練習の最初で、受身を練習することが大きな特徴となっています。
この受身の練習は、護身というか、いろいろな意味で覚えておけば得です。

余談ですが、私の知人の柔道家には、トラックに跳ねられたとき、
受身を取って見事無事だったという人がいます。

その後、打ち込みといって、二人一組になり、
投げるための技術を繰り返し、崩し方や返し方を、
体に覚えさせていきます。

学校で柔道を習った場合は、これをあまり繰り返しませんが、
道場や部活の柔道では、打ち込みをかなり長い時間行います。

打ち込みが終わると、乱捕りに入ります。
これは二人が自由に技を掛け合う、試合形式の練習法です。

場所によりますが、1回4分程度を4本行うくらいが、
一般的な稽古のようです。

他のスポーツにくらべると、4分というのはあまり長く無いように
思うかもしれませんが、これは相当な運動量になります。

たとえば、バスケやサッカーの試合で、4分間のスタンドプレーなど
あり得るでしょうか? あっという間に息が上がってしまいます。
本格的に柔道をやると、すさまじい体力を消耗します。



【柔道を習いたい】

日本であれば、たいていの市民体育館で柔道の教室があります。
また、中学、高校、大学に部活として用意されている場合もあります。
個人の道場も、近年は減りましたが、
他の武術よりはかなり多いほうです。

柔道着はどこでも買えますし、通販もあります。
柔道着と白帯を買ったら、近くの道場に行ってみましょう。
どこでも、丁寧に対応してくれます。

ただ、一時期(90年代)には女子柔道が非常に盛んでしたが、
近年では女子は減少傾向にあります。

女性の場合は、できれば女性がいる道場に行くのがいいでしょう。
組み合ったりつかみ合ったりする競技ですので、
最初は男性と練習することに抵抗感があるかもしれません。



【柔道の有名選手】

ものすごくたくさんいます。
しかし、ここでは1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト、
「平成の三四郎」の異名を持つ、古賀七段を取り上げます。

常に一本を取りに行く柔道を体現しており、
小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技です。

まあ、堕論無用ですね。以下の動画をどうぞ。


古賀選手は、バルセロナオリンピックでは選手団主将を務めました。
バルセロナオリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中、左膝に大怪我を負いましたが、
痛み止めを打ちながら見事金メダルを獲得しています。

さらに、1995年の世界選手権では、全試合一本勝ちという
歴史に残る偉業を達成しています。



【柔道で戦う・柔道と戦う】

ここからは個人的な意見です。

柔道家は決闘や喧嘩で、どのように戦うでしょうか?
ここでは、以下のような二人の架空の人間を仮定します。

・男性
・25歳
・身長170センチメートル
・体重70キロ。
・コンディション良好。
・既往症なし。
・喧嘩や決闘を前提として行動できる思考を持っている。
・精神状態は平静で安定している。

一人は柔道暦十年のA。段位は二段。市民大会で入賞している。
もう一人は日ごろ週に2回程度、筋力トレーニングをしているB。
Bには格闘技の経験はないが、テレビや学校で、柔道についての知識はある。
また、格闘技の試合を観戦したことがある。

この二人が、街の中で勝負することになったとします。

Bが刃物を持っている場合、Aはどう戦うか。

これは、昔の漫画や小説では「柔道では組み合っている間に刺されてしまう」
という通説がありました。

しかし、実際には一対一で向かい合った状態から始まると、
格闘技の経験が無いBは、つかまるなり投げ飛ばされてしまうでしょう。

柔道が遅いというのは迷信で、瞬発力を鍛える競技なので、
一般のスポーツ選手と同じ程度には速いのが普通です。
丸い体格の人が多いので、遅いイメージがついたのでしょう。

逆に距離が離れている場合、捕まえることは難しいかもしれません。
Bが勝つには、まず離れた状態で対峙し、
後ろに下がりながら、Aの手首を狙って斬りつける方法がよさそうです。

ただ、それでもナイフや包丁程度では、なかなか倒すのは難しそうです。
Bに日本刀や青龍刀でもあれば別ですが、そんな物を持てるなら、
Aだって持っているでしょう。その場合は互角です。

Bが素手であれば、どうでしょうか。
どういう服を着ているかが大きな要素になります。
タンクトップや破れやすい服だと、投げきることができない可能性があります。

しかし、一本背負いなどは、柔道の技術を少し応用しただけで使えます。
また、柔道着の代わりに皮膚をつかんで投げるという荒業もできます。

Bの体脂肪率が少なく、上半身が裸だとさすがに難しいかもしれませんが、
基本的にどういう格好であっても、柔道を相手にして「なんだ、柔道か」
と甘くみることはできないでしょう。
かなりの高確率で、Aが勝つのは間違いありません。

また、Aの戦術として、周囲に壁があれば、それに叩きつけるという方法があります。
叩きつけるほうが、投げ落とすよりも簡単です。

さらに投げるときに、競技では受身を取るように背中から投げますが、
Aに本気で殺意があれば、頭から落とすでしょう。

Aにこのような発想がある場合、柔道はきわめて強力な武器になるでしょう。



【次回予告】
次回は、空手(全空連)を取り上げます。



【注記】
この記事は、喧嘩や決闘を奨励するものではありません。
また、武道をやることで、強くなることを保障するものでもありません。
暴力行為の結果は、運や体調やその他の偶然によって、大きく変化します。
そして当然ですが、実際の暴力行為は法によって厳しく罰されます。

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# by neo_logic | 2008-11-20 22:51 | 世界の武術
【世界の武術】はじめに
本職も会社もえれー忙しいのに、またも変なこと始めようとしています。

これから飽きるまで、世界の武術について書いていこうと思います。

方針:
1.武道・武術・武芸の一流、一派を取り上げて、
  歴史や技術、有名選手、練習方法、現在ある道場について説明する。
2.事実と私見は明確に区別する。強弱論争はしない。
3.どういう場面に向いているかを考察する。

扱ってほしいテーマなんかがあればご意見をどうぞ。
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# by neo_logic | 2008-11-11 23:13 | 世界の武術
【映画評】 黒帯 KURO-OBI (2007年/日/90分)
モントリオール映画祭に出品された、空手をテーマにした作品。
昭和の始めころ、空手を学んでいた二人の男の話。

師匠が死に、黒帯を継ぐのは誰になるか。候補は二人。

一人は師の教え「空手に先手なし」を破り、憲兵隊へ空手を教えて出世していくが、
一人は師の教えを守り、それが原因で大怪我をした上、イカサマ賭博に巻き込まれる。

この対照的な、二人の武道家を描いた作品である。

さて。

実は空手がテーマの映画ってすごく珍しくて、
特に武道としての空手を描いた最高傑作なんて、
ベスト・キッドくらいしかないというのが実情だったりする。

その点、本作では、空手の精神性を中心に描かれていて、
しかも、主演の二人が現役の空手家(しかも相当の大家)で、
本当の空手を見ることができる。

殴られる前に避けるとか、そういうのが無い。
技術も最高峰のものが見られる。なにより速い。

ハイキックよりも中段突きのほうが、はるかに格好いいという、
きわめて珍しいタイプのアクション映画である。

しかし、空手家に対する最大のリスペクトと対照的に、
空手に対するリスペクトがほとんど払われていない。

舞台はどこなのかわからんし、政治的な背景も最初にちょこっと出てくるだけ。
空手の歴史は政治・軍事・地方文化などと密接に関わっているはすなのだが、
実在の有名人は一人も出てこない。一種のファンタジーとなっている。

唯一のリアルさを出しているのが、憲兵隊が空手を採用するというところなのだが、
そんな史実があったとは思えないし、あったとしても、大学か武徳会経由だと思う。
というわけで、この作品、傑作とはいいがたい。あくまでB級。

「空手やアクションはどうでもいい。真の空手家が見たい」
という人にはお勧め。

あ、私個人の評価? 
そんなもん、八木館長と中師範が出てくるだけで、十分に決まってますがな。

【評価】
監督:味がある。
演出:上々。
脚本:わかりやすい話だが、取材は足りない。
空手:これを超えた作品は無いですね。

得点:75点くらい?(八木館長と中師範は100点ですが)

DVD買いましたが、メイキングが本編より数段面白いです。
殺陣師と主演の対談とかがリアルすぎる。

youtubeのリンク(予告編。本編も一部はyoutubeで見られます。)

http://jp.youtube.com/watch?v=v9-vI4HxRmI

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# by neo_logic | 2008-11-02 14:13 | メディア評
【ハプスブルクとヨーロッパ】最終回
お久し振りです。少々忙しかったのですが、
あと一歩でやめるのも心残りですからねぇ。



【宣戦布告】

さて、サラエヴォでオーストリア皇太子夫婦は殺されてしまったので、
ハプスブルクはこれを見て、セルビアへ宣戦布告です。

ところがこれを見て、ドイツもロシア・フランス・イギリスへ宣戦布告。
ハプスブルクはびっくりです。

o(゚д゚o≡o゚д゚)oえ? え?

そんなの相手にして勝てるのか?
味方は俺とトルコだぞ?

そして開戦直後、ボヘミアが離反してロシア側へ。
いきなりケチがつきました。

さらに、皇帝フランツ・ヨーゼフは86歳で死亡。
カール1世があとを継いで、なんとか休戦させようとします。

カール1世
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「こんなん勝てるわけねーよ」




【最期の戦い】

そもそもオーストリアは、南ヨーロッパで戦争を終わらせたかった。
ところが、なまじ同盟国のドイツが強いもんだから、
戦争はアジアやアメリカにまで拡大。

オーストリアは、兵器をドイツから買ってるので、
文句がつけられません。

ハプスブルク家最期の、悲愴な大あばれが始まります。

オーストリアのドイツ系、ハンガリー系、スラブ系住民は
意外にも奮戦。1915年にはポーランドを占領しました。

さらに南ではセルビア・モンテネグロも制圧。
イタリアにも侵入しました。

ところが、ドイツは中立だったアメリカにまで攻撃を開始。
たしかに、ドイツは戦争にはべらぼうに強いのですが、
とにかく敵はひたすら多い。


ハプスブルク最後の火種も、徐々に尽きていきます。
勝っても勝っても勝っても勝っても戦争が終わらない。
まるで一年戦争のホワイトベース部隊みたいです。



【戦争中盤】

状況は大体こんな感じ。紫がハプスブルク側。灰色が敵。
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強いイギリス・アメリカはドイツに任せて、
ハプスブルクの相手したメインの敵はロシア。
ロシアの軍隊はめっぽう強い。

革命中だったから戦争はしないと思ったのですが、
黒海が関わるならロシアも必死です。

ロシアは黒海がオーストリアに取られると、
他の海から船が出せないんですよ。凍るから。

そんなわけで、ハプスブルクはロシアと正面からぶん殴りあいます。
配下の盟友ハンガリーも得意の騎兵で頑張りますが、
頑張って勝てるなら苦労は無い。

相手は大砲と戦車ですよ。馬で勝てるもんですか。
戦国時代じゃないんだからさ。

そんなわけで、ロシアにがんがん負けていきます。
下の写真は捕虜になったオーストリア兵士たちです。
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まるでやる気のなさそうな感じです。

ハプスブルクは単独講和を目指しますが、時すでに遅しでした
戦争の終盤を過ぎるとオーストリアの軍部は完全にドイツの指揮下に入ってしまったからです。

戦うこともできない。
逃げることもできない。
降伏もできない。


座して死ぬのみ


1918年、連合国は大反撃に出ます。
同盟国トルコがここで降伏。

ここで、アメリカのウィルソン大統領が変な事を言い出します。

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「ハプスブルクは、いろんな民族を閉じ込めている、悪い国だ」


え、それはおかしい。ハプスブルクは独立できない小国をまとめ、
周囲の大国に抵抗していた国家だったはずです。

大体、なんで多民族が前提のアメリカに、
そんな事を言われなけりゃならんのでしょうか。


と、言いたいのですが、そんな理屈は無視されます。
ロシアの北上に、ハプスブルクは手も足も出なくなりました。

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もうだめだー




【帝国、ついに解体】

結局1918年11月、ハプスブルク家は敗北を認め、カール1世は退位しました。

帝国は完全解体し、オーストリアは共和国として再出発します。

いがみ合ったり手を組んだりしながら、長年連れ添った旧友、
ハンガリーも、ついにここで独立します。王の無い王国として。

こうして、ハプスブルク家が治めた大帝国は、
ついにヨーロッパの地図から姿を消すことになるのです。

聞こえてくるのは、次の時代の足音。
ファシズムと自由主義がやってくるのです。



【おわりに】

さて、ものすごいスピードで、オーストリア1000年の歴史を語ってまいりました。
いろいろすっ飛ばしたのが残念ですが、まあ私の根性ではこれが限界です(笑)

ハプスブルクといのは、とても奇妙な国家です。
多くの人々が複雑にからまりあいながら、大版図を維持してきたという大きな特徴があるからです

戦争では弱かったけれど、多民族の複雑な構成を維持し、
絶妙にバランスを取りながらヨーロッパの中部を維持し続けた政治は、
他の国には見られない、知恵と努力の結晶でした。

日本の学校で勉強する世界史には、
ハプスブルクの歴史は断片的にしか登場しません。

「カール五世? マリア・テレジア? パラツキー? 誰?」
というのが、今の日本人の「普通」でしょう。

「今は中欧って言うよね。昔は東欧だったけど」
と良くいわれてますが、もともとが中欧なのです。
ソビエト共産主義の時代に、一時期だけ東欧という地域ができたのです。

「ヨーロッパの大半を占領したのって、ナポレオンとヒットラーだけだよね?」
という人もいるでしょう。しかしハプスブルク家はナポレオンの500年以上前にそれをやりました。

「ヘクサゴナーレ? 中欧イニシアチブ? なにそれ?」
というのが、多くの人の反応でしょう。

ヨーロッパの小さな工業国は、今新たにヨーロッパで結束を強めています。
イギリス・ドイツ・フランスにも並ぼうと努力しています。

かつて協力しあったハプスブルクのメンバーは、
民族紛争や領土紛争を起こさずに、協力し合っているのです。
言葉も文化も見た目も違う人たちなのにです。

ハプスブルクの遺産は、以前も述べたとおり、
他民族協働・共存の模範として、EUに取り入れられています。
それは単なるノスタルジーではなく、現実的な手段となっているのです。

第二次世界大戦と東西冷戦に隠れ、
ハプスブルク家の思想は長らく凍り付いていました。

しかし今、我々はこの国から、新たに多くを
学ぶ時期が来ているのかもしれません。



【挨拶】

ご愛読ありがとうございました。
とりあえず、このシリーズはこれで終了とさせていただきます。

ノリで始めた割りに面白かったですが、正直かなりしんどかったです。
当分、この手の記事を根詰めて書くのはやめときます。
毎回5冊の参考書とWikipedia見ながら必死に書いてたのですが、
私の根性ではこれが限界です。

しかも毎回、くだらない冗談のために画像を探すのが大変で・・・




もっと勉強したい人へ・・・


今回の話は、だいたい次の本を参考にしました。
興味がある人はぜひどうぞ。

加藤雅彦「図説ハプスブルク」河出書房新社
カラー写真がたくさん載ってます。
旅行行きたい人にも、趣味で歴史を知りたい人にもお勧め。
姉妹本の「チェコとスロヴァキア」もいい本です。

菊池良生「図解雑学ハプスブルク家」ナツメ社
テーマごとにページが分かれています。勉強するにはちょっと不便。
ハプスブルク家を楽しみたい人にはお勧めです。

江村洋「ハプスブルク家」講談社
新書です。カール五世とマリア・テレジアに愛を感じる本。
文章が多い割りに読みやすいです。

G・シュタットミュラー「ハプスブルク帝国史」刀水書房
本格的に勉強したい人のための本。これを全部読んでおけば、
少なくとも私よりは詳しくなれるはず。

H・コーン「ハプスブルク帝国史入門」恒文社
どこが入門だコノヤロウ、的な、本格の専門書。
1800年以降のハプスブルクの政治について詳しい。
史料がたくさん乗ってます。

南塚信吾 編「ドナウ・ヨーロッパ史」山川出版社
地域から中欧を見ることができる本。これも専門書です。
素人にはお勧めできないが、最近の研究成果も満載です。
このシリーズを読んでいれば「ヨーロッパ史には詳しいです!」
と言えるくらいにはなれます。

そんな感じです。
また中欧に行きたいです。

それではまた。
ここまで読まれた方は、なんか一言、残していってくれると嬉しいです。
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# by neo_logic | 2008-10-26 22:48 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第14回
消えたファイルはマルウェアだー
消えないファイルは新しいマルウェアだー


はい、ウィルスの脅威から立ち直りました。
誰が見てるのかしりませんが再開します。



【偉人量産中】

長らく間が開いてしまったので、復習しましょう。

1860年以降のおはなし。

ハプスブルク家が治めていた中部ヨーロッパは、
新興国ドイツに敗北して、
他民族帝国のオーストリア=ハンガリーとして再出発。
南の脅威セルビア・ロシアと対立中。

産業革命期を向かえ、近代的な都市国家を建設。
みたいな感じでしたね。

さて、この時代のハプスブルク帝国には、
すごくすごい人たちがたくさん現れました。

たぶん、どれか一人は知ってるでしょう。

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ジークムント・フロイト

1856年 - 1939年


いきなり超有名人です。文学系の大学出てて、こいつを知らないやつはもぐりだ。
「実は子供ってえっちなんだよ! 大人が勝手に天使扱いしてるんだよ!」
という、当時の道徳から考えると、かなり破天荒なことを言った人です。
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後年、あまりにも性欲中心だった理論は批判の対象となりますが、
心理学分野ではやはりこいつを勉強しないと、話が始まりません。

次は美術の人。

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グスタフ・クリムト

1862年 - 1918年


えっちな絵を描いて有名になった人です。
              こんなの↓
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この当時は、えっちなことをまじめに考えるのがタブーだった。

しかし、フロイトにしろクリムトにしろ、人間が本来持っている感覚から
目をそらすのは、ちょっと違うんじゃないの、と考えたのです。

んで、次。建築の人。

オットー・ワーグナー&アドルフ・ロース
こいつらは、
「機能的な建物は、機能美があるので格好いいのです」
と言った人ですね。過度な装飾を排除した、シンプルな建物をはやらせた。

こんなの作ったの。
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音楽の人。
アルノルト・シェーンベルク。
この人は、
「ドレミファソラシドを、全部平等な音だとして、コード無視して作曲した」
という人です。

ま、とりあえず聞いてみれ。
変な曲だねぇ。

こいつの作品は、オーストリアよりもむしろ、
前衛を好んだドイツで大絶賛された。



【おそるべきユダヤ人】

人間は人種・民族などによって優劣がつくわけではない、
というのは現代の常識。

でも本当は、やっぱりアタマのいい民族っているんじゃねーの。
とどうしても思ってしまうもの。

特にユダヤ人を見てると、こいつらやっぱなんか選ばれてねぇかなぁ、
と思ってしまう。

上であつかったシェーンベルクやフロイトはユダヤ人。

「地球は動かない」というせりふで有名な、哲学のエドムント・フッサール。

「世界は事実であることの全てである」という
何がなんだかよくわからないけどすごそうなせりふで有名な
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン

ほかにも作家では、
「人間が虫に変身した」ってので有名なカフカ。
シュニッツラー。
クラウス。

音楽家ではマーラー。
シュトラウス。
レハール。

これみんなユダヤ人。
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いいえ、事実です。


ハプスブルク帝国は多民族平等をうたっていたので、
それまで差別されてたユダヤ人にも「社会で活躍しろよ」と言った。

そしたらユダヤ人から天才が続々出てきました。

ハプスブルクとは直接関係ないけど、
アインシュタインやディズニーもユダヤ人だよなぁ。
やっぱなんか違うよ、こいつら。



【そして次の時代が来る】

さて、なんでこんなに文化人や知識人がでてきたのか。
ひとつはカフェ文化の発達です。

そして、これらの文化を維持できたのは、戦争がなかったから。

ところがこのころ、ハプスブルクは王家にあいつぐ不幸が発生。
当時の皇帝はフランツ・ヨーゼフだったのですが・・・

まず皇帝の弟がメキシコで戦死。
次に皇帝の皇太子が自殺。
王妃までテロリストに殺された。


平和で文化的な、民族平等をめざしたフランツ・ヨーゼフは
国民に愛された皇帝でした。それなのにこれでは、いくらなんでもやってられません。

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「俺なんも悪いことしてねぇよ! もうグレた!」


やけっぱちになったのか、ヨーゼフは、
当時ちょっかいを出していたバルカン半島へ進出。

ロシア&セルビアのスラブ人コンビが、これを見てカチンと来ます

逆に、スラブ人が嫌いなトルコがこれを見て大喜び。

さらに、ドイツがこれを見て、
「じゃあドイツ→オーストリア=ハンガリー→トルコ
路線をつっぱしって、インドまで分捕ろうぜ!」


とか言い出します。
インドはイギリスの植民地。イギリスもカチンときます



【一触即発】

結局、状況はこんな感じになる。

ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス


しかしちょっと待ってほしい。
なんだか左より右のほうが強そうではないだろうか。

ドイツはともかく、戦争が不得意なオーストリアに、弱体化したトルコ。
相手は世界を植民地にしていたイギリスに、戦争が大好きなロシア&セルビア。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋にケンカを売るようなもんだ。


ところがこれを見て、フランスまで強い方に味方した。


ドイツ                      ロシア
オーストリア=ハンガリー    VS     セルビア
トルコ                      イギリス
                          フランス


なんだか絶望的な状況である。

言ってしまえば、さいたま&川越&越谷が、
東京&大阪&名古屋&北九州にケンカを売るようなもんです。


だから南進なんてやめときゃよかったのに。

そして、フランツ・ヨーゼフの後継者である、フェルディナンド大公が、
占領した南スラヴのサラエヴォへ行った時のこと。

大公夫婦は、ミリャツカ川にそってオープン・カーを走らせていました。

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ミリャツカ川


この日は1914年6月28日。
1389年にセルビアがトルコに負けたという、屈辱の記念日でもありました。
スラブ人たちは、苦々しい表情でこの皇太子を見つめていました。

大公夫婦はサラエヴォを巡視した後、パーティに出席する予定でした。

しかし彼らを待っていたのは、歓迎のクラッカーではなく、
ブローニングM1910半自動ピストルにこめられた、数発の弾丸だったのです。

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「死ね! オーストリアの犬め!」

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# by neo_logic | 2008-10-05 01:02 | ハプスブルクとヨーロッパ