セキュリティ系エンジニア。IT技術について書いているふりをしています。
by neo_logic
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
Twitter
Twitter
検索
カテゴリ
その他のジャンル
記事ランキング
【ハプスブルクとヨーロッパ】第9回
【私の味方はどこに】

今回も、マリア・テレジアの話です。できれば前回も読んでね。

オーストリア継承戦争の第一幕で、いきなりプロイセンの攻撃を喰らったオーストリアは
主力のナイペルク伯爵指揮下20000をシュレジエンへ向けました。
フリードリヒ大王以下、プロイセンの20000はこれに真っ向から勝負を挑みます。

まあさんざん見てきた話ですが、
同数だとたいてい勝てない
わけです。

ましてやプロイセンは生粋の戦争屋です。
被害は互角ですが、シュレジエンは取り返せませんでした。

マリア・テレジアはこの敗戦の報に涙しました。
しかも神聖ローマ皇帝だった父、カール6世は前年に死亡します。

婿養子フランツと結婚して男子も生まれましたが、
それにしてもプロイセンのパンチが強烈過ぎました。

しかし、当事の弱肉強食なヨーロッパにおいても、
全くなんの理由も無く攻めてくるというのは
ルール違反です。

マリア・テレジアはオーストリア領内の貴族たちに救いを求めます。
ところが、イマイチこの大事態に対して反応がありませんでした。

バロック時代の浮かれ気分だったというのもありますが、
それ以上に、マリア・テレジアは成り行きでオーストリア大公になったただの娘さんです。

金も無い。

信用も無い。

軍隊も無い。

経験も無い。

知識も無い。

助言する者もいない。

f0075557_20481534.jpg

普段は味方ヅラしているイギリスまで、
「シュレジエンくらいあげたっていいじゃないか、人間だもの」
とか言い出します。

f0075557_20534452.jpg

「誰か、私を助けてくれる人はいないのかしら?」








【そうだ、ハンガリー 行こう】

マリア・テレジアはオーストリアの宮廷で、仕事もせず遊び暮らしている、
バブル期入社の使えねぇリーマンみたいな連中をさっさと見切り、
仲間探しの旅に出ます。

そして、旅の酒場ルイーダにて
f0075557_215225.jpg
という情報を得ます。

ハンガリーは古くからのオーストリアの属国で、
マリア・テレジアは、ひいてはハンガリーの女王でもあるのです。

ですが、ここにも不穏な空気が流れています。
いっそ、この機会にオーストリアから独立してやろうかと
思っているハンガリー貴族たちまでいました。

それでも、もはや望みはここにしかありません。
マリア・テレジアは単身、ハンガリー議会へ乗り込みました。

当事彼女は23歳。
そのうえ3人の子持ちで、1人がお腹の中にいます。
政治や戦争なんて夢のまた夢としか思えない状況です。


【ハンガリー議会】
( ^▽^)σ「小娘が何しに来るんだよ」
(´。` )「よく来るよな。同じ国って言っても、敵みてーなもんじゃん」
(´、ゝ`)「殺せ、いいチャンスだ。殺しちまえ」


ところが、マリア・テレジアがハンガリーに来ると、
ハンガリーの貴族たちの態度が徐々に変わっていきます。

マリア・テレジアは忍耐強く、断固として意見を曲げず、オーストリアの窮状を訴えます。
熱論は5ヶ月も続きました。

父、カール6世の喪に服した黒のヴェールをまとい、
涙ながらに真情を吐露するテレジアの心に、
ついにハンガリーの貴族たちは胸襟を開いたのです。

【ハンガリー議会】
(゚▽^*)ノ「オーストリアは俺たちを認めたんだ!」
( ´∀`)「俺たちは昔から仲間だったんだ!」
(^◇^)o「マリア・テレジアは俺たちの女王だ!!」


ハンガリーは精鋭軍パンドゥールをオーストリアに提供し多額の軍資金を約束します。
そのうえ、自らの一族郎党まで戦いに参加することを誓約します。

こうして、弱体化しつつあったオーストリア軍に新たな核が登場し、
プロイセンに立ち向かう準備ができはじめてきたのです。



【国家再建へ向けて】

こうしてオーストリア継承戦争中盤以降、
ハプスブルグはハンガリーの参戦で勢いを取り戻します。

結局シュレジエンは奪われたけれど、痛みわけ。

ちなみに神聖ローマ皇帝位はどうなったって話ですが、
これは結局テレジアの旦那さんが継ぎました、
といっても、実質マリア・テレジアと旦那の共同統治です。

旦那は外交とか戦争とかはあまり上手ではなく、
むしろ財政再建とか科学振興に貢献しました。
今の日本に欲しいですな。

さて、ここから、マリア・テレジアが本領を発揮します。
プロイセン打倒をめざすには、うかうかしててはいかん。


国家の大改革に着手します。

1.国勢調査の実行
  貴族が領民を把握しているこの時代に、皇帝が全ての住民、家畜、家屋敷を
  調査したのです。「まさかできるわけがない」といわれましたが成功しました。
2.裁判所を行政から独立
  大貴族や富豪の都合がいいようにやっていた裁判制度を廃止し、
  公平で、適切な判断を専業の裁判官にやらせます。
3.軍隊の増強
  プロイセンに勝つために陸軍養成所を設立します。
  功績著しい将軍には、マリア・テレジア勲章を授与しました。
4.医療制度改革
  それまでの手術なんて血を抜くだけなので治るわけがありません。
  杉田玄白も学んだオランダ医学を取り入れ、各地に病院を設立しました。
  オーストリアの死亡率はこれで激減します。
5.教育制度実現
  貴族の家庭教師制度しかなかったような教育現場へ、
  義務教育を導入。小学校を作り、字を読める人が倍増します。
6.宗教改革
  カトリックの修道院や巡礼、祝祭があまりにも多すぎるので制限。
  1年の3分の1が祝日なんてばかげた時代はこれで終わりました。

これでようやく半分くらいです。一代でこれだけ大きく国家体制が変わったのはオーストリア史の中でもこの時だけです。



【女として、母として、人として】

マリア・テレジアは優秀だっただけでなく、優しく、気さくな性格だったそうです。
旦那のフランツとも仲が良かったし、子供は16人もいました。

シェーンブルン宮殿で、彼らは一家そろってモーツァルトの演奏を
聞いていたり、王宮の中だけではなく、外のコンサートへもお忍びで行って、
庶民と一緒に音楽を楽しんだりしていた。

大改革で民衆も一度はあわてましたが、女王の人となりが徐々にわかってくると、
彼らは次第に受け入れるようになってきました。

こんな話があります。

ある日、マリア・テレジアが王宮の外を散歩していると、物乞いの女の人が泣いていました。赤ん坊を抱いています。可愛そうに思ってマリア・テレジアが財布を開くと、
物乞いは怒ってテレジアの手を払ってしまいました。

「金貨で腹がふくれるものか!」

見ると、赤ん坊はぐったりとしていました。栄養失調で母親の乳が出ないのです。
マリア・テレジアはそっとその赤ん坊を抱くと、自分の乳房を吸わせたそうです。


実話かどうかはともかく、こういう話が生まれるほど慕われていたのです。

マリア・テレジアの改革は、単に君臨し支配するという政治ではなく、
国民に奉仕する政治という考え方をすでに取り入れていたのです。



【まさかの同盟】

さて、この女性的なマリア・テレジアにとって、
プロイセン王のフリードリヒ大王は心底嫌いな相手でした。

フリードリヒは男性至上主義者で、
「女は産む機械」と本気で言っていたのです。

どこかの政治家なら失言ですが、こいつは本気です。
オーストリア継承戦争で倒れなかったマリア・テレジアは、ここで決意を蘇らせます。

f0075557_23185019.jpg
フリードリヒには、絶対に借りを返す

そして、ついにフリードリヒ大王の度肝を抜く、大事件が起こるのです。
f0075557_2324131.jpg

マリア・テレジアは「300年の宿敵」
であるフランスと同盟を結ぶのです。

ここに、1750年の「外交革命」と呼ばれる、
ハプスブルグ=ブルボン同盟が誕生します。


さらにこの同盟へ、新興国ロシアも加わりました。

ハプスブルグ家のマリア・テレジア大公
ブルボン家のルイ15世夫人ポンパドゥール
ロシアのエカチェリーナ女帝


俗に言う「三枚のペチコート」にフリードリヒが囲まれます。

「弱体化したポーランドを占領しようぜ」
とか、フリードリヒは空気読まずに提案しますが、マリア・テレジアは
「そんなみっともないこと、やってられっか!」
と、第1回以降、参加を拒否。その1回も、
「生涯最大の不名誉」
と言っています。

なお、この各国でよってたかってポーランドを切り取った、
「第1回ポーランド分割」は1772年です。そのあとオーストリア以外で2回、3回とやったせいで、
ポーランドはほとんど消滅してしまいました。


ともかくそんなことが提案できるくらい、フリードリヒは強くて賢かったのですが、
女を本気で怒らせる男は、バカだということは理解していなかったようです。

次の7年戦争(1756-1763)で、プロイセンはいよいよこの3国を相手に戦います。
得意の戦術で次々敵軍を打ち払いますが、なにせ数が多すぎます。

フリードリヒは、乗った馬が2度も殺され、
さらに銃弾が胸のタバコ入れにぶつかって致命傷を避けたという、
マンガみたいな激戦にさらされます。

しかし、ハプスブルグ家があとわずかで本拠地ベルリンへ侵攻という直前、
同盟軍ロシアのエカチェリーナが死亡しました。
ハプスブルグ家はここで、慎重に軍を引き上げました。

もしマリア・テレジアがベルリンに攻め入っていたら?
フリードリヒは殺されていたかもしれません。


それは神のみぞ知るというところですが、
さすがのマリア・テレジアも、戦場の駆け引きだけはあまり上手ではなかったそうです。

ともかく、これで、二つのことが知れ渡りました。
一つは、プロイセンが強いということ。
もう一つは、オーストリアが強くなったということです。


プロイセンに負けずオーストリアは大きく成長しました。
その成長を支えたのは、国母と呼ばれたマリア・テレジアだったのです。
f0075557_23501792.jpg
オーストリア皇后・ハンガリー女王・ベーメン女王・パルマ女公・ロレーヌ公妃・トスカーナ大公妃
マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
(1717-1780)

[PR]
# by neo_logic | 2008-09-10 23:37 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第8回
シベリア超特急並みのやっつけと、東京ダイナマイト並みのシュールなギャグで
お送りするシリーズ「ハプスブルグとヨーロッパ」にようこそ。

・・・・・・・・自虐ネタでスタートするのやめよう。やる気がなくなる。



【英明果断なるハプスブルグの母】

さて、今回から二回にわたり、一人の女性を取り上げます。
一人の、非常に重要な女性を取り上げます。

女帝「マリア・テレジア」です。

オーストリア史を語るときにマリア・テレジアを語らないのは、
日本史を語るときに織田信長を語らないようなもんです。

f0075557_20334089.jpg
【若き日のマリア・テレジア】


マリア・テレジアこそ、ハプスブルグ家の中でも
最も波乱万丈な一生を送った、
最もハプスブルグ家の人間らしい人物です。

なにしろ、
素晴らしい妻であり、
素晴らしい母であり、
素晴らしい政治家であり、
ダメな将軍だった

のです。ハプスブルグ家の見本のような人だ(←ほめ言葉)

さて、それではマリア・テレジアの生涯を見てきましょう。



【マリア・テレジア即位?】

前回述べたとおり、トルコ戦、フランス戦でオーストリアが
ガラにもなく連戦連勝。お祭り騒ぎをくりひろげていました。

なんせこの当事、オーストリアは一年の三分の一が祝日だったんです。
浮かれすぎ。仕事しろよ。

ところがそんなさなか。
当事の神聖ローマ(←一応まだある)の皇帝だった、
ハプスブルグ家のカール6世に、
男の子が生まれないという事態が発生しました。

ハプスブルグ家・カール6世
f0075557_20544366.jpg
「じゃあ次の皇帝は、私の娘のマリア・テレジアだ」



ブルボン家・ルイ15世
f0075557_20592112.jpg

「あ”? テメェ今なんつった?」




フランスがこれを見逃すものですか。
神聖ローマ皇帝は男じゃなきゃなれない。
マリア・テレジアは女性じゃないですか。

そんなわけで、いつもどおりフランスが因縁ふっかけてきました。
これがオーストリア継承戦争(1740-1748)です。

さて、今回のチームは・・・・・

オーストリア(ハプスブルグ家)        フランス(ブルボン家)
イギリス(ハノーバー家)        VS  スペイン(ブルボン家)
サルディーニャ                  バイエルン
ザクセン                     プロイセン(ホーエンツォレルン家)


こーんな感じです。

ところで、青字で書きましたけど、プロイセンってありますよね。
これまであまり見なかった名前です。プロイセンってなんでしょう。



【恐るべきプロイセン】

神聖ローマは、だいたい今のドイツ+オーストリアです。
で、三十年戦争後、カタチだけのものになりました。

この時、オーストリア付近はハプスブルグがごっそり支配。
ドイツのあたりは、まだまだごった煮状態でした。

そのドイツで頭角をあらわしたのが、
ホーエンツォレルン家のプロイセン国だったというわけですね。

この国がオーストリア継承戦争ではフランス側につきました。
新参者のプロイセンは・・・・

なんと、オーストリアの最重要拠点シュレジエンへ、
真っ先に強襲をかけた!


びっくりしたのはフランス。
((((;゜Д゜)))「あああああ、アホかあいつは!!」

なんせフランスは、実際に戦って知っています。
オーストリアの国力の高さを。兵隊と武器の多さを。

ホーエンツォレルン家プロイセンなんて、
もともとハプスブルグ家の部下みたいなもの。


それが突如反逆の狼煙をあげるや、
フランスの援軍も待たずに突っ込んでいったのです。

((((;゜Д゜)))「皆殺しにされるぞ、あいつら」

と、思いきや!

f0075557_22223959.jpg


これはいったい何事でしょうか。

ドイツには邪魔くさい森がある。寒い。資源がない。
こんなところで、まともな国力を養うのは大変なはずです。

ヨーロッパじゅうの驚愕を背に、堂々と登場したプロイセン。
この国には、いったいどんな秘策があったのでしょうか。

プロイセン成立の過程で、ホーエンツォレルン家はこんな方針を立てました。

1.制度をがっちり固めよう。
  軍隊と役人のシステムや階級を、これまでないくらい丁寧に作りました。
2.ちゃんとした法律を作ろう。
  ドイツにはいろんな民族がいます。まとめるために、統一した法律を作りました。
3.宗教なんてなんでもいいじゃん。
  宗教で仲間割れしてるヒマはありません。プロテスタントもカソリックもOKです。
4.勤勉! 努力! 根性出せ!
  この精神論も実はかなり有効でした。
  というか、もともとこういう奴らが集まってたのですな。

ここまで聞いて、どこかを連想しませんか。
そう。今のドイツです。

外交でも内政でもサッカーでも
規則に厳しく、自分に厳しく、他人に厳しい。
このドイツの国民性というのは、プロイセン時代から受け継いでいるのです。

鉄の掟、鉄の絆、鉄の意志。

フランスはまだこの時点で気がついていませんでしたが、
プロイセンはこれをそろえ、十分な自信を持ってオーストリアへ攻め入ったのです。

プロイセン国主フリードリヒ大王は、オーストリアの最重要拠点、
石炭と鉄鉱石の産地にして穀倉地帯であるシュレジエンに降り立ちました。

そしてマリア・テレジアへ向かって、冷たい笑みを浮かべます。
f0075557_2321199.jpg
「うら若い女王様へ、ちょっと挨拶に来ただけさ」


この態度に、マリア・テレジアは逆上します。
憎い憎い憎い、逆賊フリードリヒ。
この恨みいかにしてぬぐえよう。


この時、マリア・テレジアの心に、
生涯の宿敵として、フリードリヒの名前が刻まれます。



さて、ここからが本番なのですが、眠くなってきたんで以下次回。
がんばれ、マリア・テレジア。
[PR]
# by neo_logic | 2008-09-09 23:19 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第7回
もともとハプスブルグの勉強をせざるを得なかったので、
しょうがなく始めたのですが、なんだかだんだんノリノリになってきました。
まあ、今日も楽しく行きましょう。



【またトルコだ!】

神聖ローマが有名無実化したので、ハプスブルグ家はとりあえず
自分の領地だけをまとめていきます。だいたいこんな感じ。
f0075557_19445954.jpg

肌色がハプスブルグ家。現在のオーストリア・チェコ・ハンガリーあたりですね。

ハプスブルグ家は、カネも兵隊も領土も減ってしまいましたが、
カトリックだけでまとまったので、かえって結束力は高まります。
とりあえず盛り返しの時期に入る。

ところが、ここでまたヨーロッパの天敵トルコがやってきます。
ハンガリーを蹴倒してガンガン北上。

またもウィーンは取り囲まれました。
1683年、第二次ウィーン包囲です。

ウィーンを守る兵隊は4千人。
トルコは20万。

ハプスブルグには良将のオイゲン公がいますが、
たとえ強くたって、50倍の兵力に囲まれりゃあたまりません。

しかし、この危機にまた奇跡が起こります。

基本的に、ハプスブルグには幸運がついて回るのです。

「キリスト教が負けてたまるかい」
と北から援軍がやってきます。ヤン3世率いるポーランド連合軍です。
ハプスブルグにすれば神の姿に見えたことでしょう。
f0075557_202502.jpg
【ヤン3世ソビエスキと愉快な仲間たち】


こうして、ハプスブルグはまたも生き残りました。
さらに後年、オイゲン公の活躍で同盟国ハンガリーのトルコも追い払います。

本当こいつら運がいいよな。



【スペイン・フランスに降る】

今度はスペイン・ハプスブルグへ目を移しましょう。
1700年。ハプスブルグのカルロスが死んだら、跡継ぎがいなくなりました。

これに大喜びしたのがフランス。
なにせこいつらはハプスブルグが大嫌い。
あの異教徒トルコが攻めてきた時に救けなかったの、こいつらくらいですよ。

「跡継ぎいないの? じゃあしょうがないなぁ!
 スペイン国王はフランスから出してあげるよ!」


誰も頼んでません、そんな事。
ダイエットしてる人にデコレーションケーキを持ってくるようなありがた迷惑です。

スペイン・ハプスブルグはもうヨワヨワなので、怖いいじめっ子に逆らえません。
頭にきたオーストリア・ハプスブルグが、フランスを後頭部からぶん殴りました。

   ↓オーストリア
  ∧_∧
  ( ・∀・)   | |
 と    )    | | ガッ
   Y /ノ    人
    / )    <  >__∧∩
  |ヽ/| //.  V`Д´)/    ←フランス
< ○ >        /
 ∨∨


これがスペイン継承戦争(1701年-1714年)です。
オイゲン公の活躍と周辺諸国の協力で、オーストリアは意外にも善戦。
しかし、ガタガタだったスペインはフランスから来た王様を認めてしまいます。

スペインの領土の一部は、オーストリアが引き継ぎましたが、
ついにここで、スペイン・ハプスブルグは消滅してしまうのです。

ところで、この戦争の講和は、1913年のユトレヒト条約で大体決まりました。
その内容をちょっとよく読んでみましょう。

・イギリスは、スペイン王国の奴隷貿易に参加できる。
・イギリスはスペインから、ジブラルタル及びメノルカ島をもらう。
・イギリスはフランスから、アカディアとニューファンドランド島をもらう。

f0075557_20413052.jpg

なんで今の文脈でイギリスが出てくるよ。

実はこのとき、並行してアメリカでもイギリスとフランスが戦争してたのね。
で、その流れでイギリスはオーストリア・ハプスブルグと組んでいた。

そんなわけで、全力でぶん殴りあってたフランスとオーストリアの横から、
ほとんどイギリスが利益をかっさらっていったわけです。

ひどい。
f0075557_20522268.jpg
ひどすぎる。


この後のポーランド継承戦争(1733-1738)でも
オーストリアとフランスがぶつかるけど、
どっちかっつーとロシアとザクセンがメインなので省略。

ただ、対トルコ戦争、スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争を通じて、
オーストリアのハプスブルグがかなり立ち直ったってことは重要です。



【戦争ばかりじゃつまらない】

どうしてハプスブルグ家が再興したことが重要なのか?

それは、1700年を越えたあたりから、
ハプスブルグ家ではバロック文化が発達するからです。

では、バロックとはなんぞや?

バロックとは、カトリックの精神にのっとった、イタリア生まれの建築様式です。
オーストリアはこれを引き継ぎ、本家イタリアにまで絶賛されました。

見よ、この豪奢な家々を。
これらはみんな、この時代にできたものです。

シェーンブルン宮殿
f0075557_21201044.jpg

メルク修道院
f0075557_21212355.jpg

カール教会
f0075557_21183735.jpg


バロック建築の特徴は、豪華な装飾、大理石の彫像や柱像、渦巻き模様の彫刻やレリーフ、色彩あふれるフレスコ画、巨大な鏡、シャンデリアなどです。

ともかくゴージャス。

バロックは、三十年戦争でカトリックを死守し、
ウィーン包囲でトルコを撃退したオーストリアの
「カトリックで良かった!」ヾ(*・∀・)/
と、いう自信の表れなのです。

さらにこのころ、ヨーロッパ最大の難病だったペストが減った。
「神様、ありがとう!」ヾ(*・∀・)/

冷静に考えると、戦争で生き残れたのは傭兵とか援軍のおかげだし、
ペストが減ったのは衛生処理が進んだからなのですが・・・



ま、まあいいや。
よかったね。
うん。


ええと、バロックに話を戻そう。悲しくなる前に。

バロックはさらに建築だけではなく、音楽や文学にも広がっていきました。
豪華な宮殿には、豪華な演劇や豪華な演奏がつきものです。

じゃあ演劇と演奏を混ぜてみましょう。オペラというジャンルが登場します。
これを上手に作れる作曲家はいないのか?

います。大天才・モーツァルトの登場です。
f0075557_21452154.jpg

他にもハイドンやらベートーベンやらもバロックです。
ウィーン音楽の黄金時代の到来です。

調子にのって浮かれてたハプスブルグ家は、
こいつらのパトロンをやってくれたわけです。

微妙な気分ですが、とりあえず喜んでおきましょう。

というわけで、今回はここまで。
ウィーンの町並みを見ながらのお別れです、ごきげんよう。
f0075557_2223571.jpg

[PR]
# by neo_logic | 2008-09-08 22:24 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第6回
【前置き】

このころからヨーロッパ各国はそれぞれに強くなってきて、
しかも「勝てば官軍」的な発想が中心になるので、陣営が頻繁に変わります。

軍事事情だけじゃなくて、できるだけ文化的な話も混ぜたいのですが、
流れをつかもうとするとどうしても戦争が中心になる。耐えてください。

今回は30年戦争の後半2ラウンドを書きますが、その前に一言。

Q.30年戦争って言っても、ずっと戦争してたわけじゃないんだ?
A.そのとおりです。このころは「生産しながら戦争する」ほど
  効率的に産業を回転させるのは難しかったのです。なぜか。
  ガソリンエンジンがないからです。
  いわゆる産業革命がまだ来てないってことですね。
  生産しながら戦争する「総力戦」は、第一次世界大戦以降の概念なんですよ。




【第3ラウンド スウェーデン戦争】

1630年から35年にかけてが3ラウンド目です。

陣営はさっきと変わりませんが、
ヴァレンシュタインは出世しすぎたので怖がられて、クビになります。
これがハプスブルグの政治センスがないところだ。

ヴァレンシュタインがいないと勝ち目ねぇっての。
ハプスブルグに味方してたバイエルンが、今度はスウェーデンと戦って負けます。
ヴァレンシュタインと共に戦ったハプスブルグ側の司令官ティリー伯爵がここで死亡。

またこの戦いは、スウェーデンの新しい戦法の前に
テルシオ戦術をとった神聖ローマが完敗するという戦闘でもあった。

ここがすげぇ詳しいので、読むとよろしい。

「北のライオン」と呼ばれたスウェーデン王グスタフ・アドルフは
破竹の進撃でハプスブルグに迫りました。
f0075557_118508.jpg

【グスタフ2世アドルフ】

すごくどうでもいいが、グスタフ・アドルフは十ヶ国語がわかったらしい。

ともかくハプスブルグ家は焦った。

((((;゜Д゜))) ど、どうしよう
      しょうがない。ヴァレンシュタインを呼ぼう・・・ ((((゜Д゜;)))


帰ってきたヴァレンシュタインはグスタフと決戦。

エ”アッ!!
f0075557_1132870.jpg
f0075557_11323589.jpg









帰ってきたヴァレンシュタインのスペシウム光線で
グスタフ・アドルフは戦死。

ところが、これでヴァレンシュタインはいらない子になってしまいました。
皇帝はヴァレンシュタインを恐れて暗殺

それはねーよ

酷い話だが、第3ラウンドもともかくハプスブルグは勝った。



【第4ラウンド フランス・スウェーデン戦争】

1635年。長い長い戦いが再開します。
フランス宰相リシュリューはいよいよ滅入ってきます。

3回の戦争で、全てハプスブルグが勝った。
けしかけたデンマークもスウェーデンも負けた。
頼みの綱だったグスタフ・アドルフも死んだ。

「もう俺がやらなきゃダメか・・・・」

いや、そもそも最初からお前がやれよ。強いんだから。

ここで、フランスのリシュリューは本格的に戦争を開始します。
といっても、そこは賢いフランスのこと。

f0075557_12155076.jpg


正面から神聖ローマ・ハプスブルグと戦う気にはならん。
神聖ローマ・ハプスブルグを支援している、スペイン・ハプスブルグを叩こう。
こっちのほうが弱そうだし。








そう、この発想がフランスを最後まで守ったのです。
フランスはヨーロッパのど真ん中で、ハプスブルグにしょっちゅうやられました。
リシュリューは知っていたのです。

できれば自分以外に戦争させるべき。
自分が戦争する時は、絶対に負けない相手とやるべき。


汚く聞こえるかもしれませんが、フランスはこの巧みな外交で、
現代まで生き残ってきたのです。生きてこそです。

まあフランスが全面的に軍事衝突しなかったのは、
国内での反乱もあったんですけどね
(フランス内部の話なので、ここでは割愛。ユグノーで検索してください)。


一方、グスタフ・アドルフの亡き後もスウェーデン・ヴァーサ家は
まだまだハプスブルグと戦う気満々です。なにせ軍隊が強いからな。

さらにこのころ、オランダの独立気分がいよいよ高まってきます。
オランダが独立を狙って参戦します。

ここで陣営を要約するとこんな感じになります。

スペイン(ハプスブルグ家)     VS     フランス(ブルボン家)

                            スウェーデン(ヴァーサ家)
神聖ローマ(ハプスブルグ家)    VS     オランダ


もうハプスブルグにヴァレンシュタインはいない。
ハプスブルグは度重なる戦闘でつかれきっていきます。

ハプスブルグは相手に何度も和平を申し込みますが、
えらそうに頼むので誰も話を聞きません。

負けに負けが重なり、プラハにいた神聖ローマ皇帝はウィーンに逃亡。
これが勝敗を決定的なものにしました。



【ようやく終了】

1648年、ウェストファリア条約でついに停戦が決定。
f0075557_1241893.jpg
【ウェストファリア条約締結】


この条約でハプスブルグは莫大な領地を失いました。
ばかりか、神聖ローマはこの戦争で事実上解体します。
もうそれぞれの家で勝手にやろうぜ、となった。

オランダとスイスも、ここで完全に独立します。

三十年にわたる長大な戦争。
ヨーロッパ最後の宗教戦争にして、ヨーロッパ最初の国際戦争は、
こうして幕を閉じたのです。

この戦争で、ドイツとボヘミアで死んだ人々は500万人とも言われます。
下に書いてあるのは、この当時の記録です。

十里歩いても、人一人、家畜一頭、雀一羽すら見えはしない。
家々は死体と腐肉で満ちており、もはや埋葬する者すらいない。
無実のうちに亡くなった人々は、神にただ復讐を願い叫ぶのみ・・・


・・・・・次はもうちょっと明るい話が書きたいよう。
[PR]
# by neo_logic | 2008-09-07 12:59 | ハプスブルクとヨーロッパ
【ハプスブルクとヨーロッパ】第5回
【どうでもいい前置き】

このシリーズは、一応、学校教育で学ぶ世界史の知識を中心にしています。
だからなんだというわけではありませんが、単なるムダ知識ではなく、
世界史を勉強した人と話が通じるようになればいいなと。

ただ、ハプスブルグ600年の歴史をすさまじい速さで書いているので、
かなり端折ってるし、複雑な背景も説明してません。そこらへんはご了承くださいね。
また、私もまだまだ不勉強なので、間違いなどあればご指摘もらえるとうれしいです。



【悲劇の始まり】

今回は30年戦争を取り上げます。

今回はスペインではなく、神聖ローマ帝国(ドイツ&オーストリア)の話です。

前に書いたとおり、ヨーロッパ大陸では「カトリック」と「プロテスタント」という
二つの勢力が衝突していました。

このころハプスブルグ家の王様は
オタクのルドルフ2世という人でした。

こいつは中川しょこたんもびっくりのガチオタで、
占星術とか魔術とか錬金術とかにどっぷりのめりこんでました。
王様なのに奥さんもいない。オタクに三次元彼女なんて必要ないんです。

↓なんか確かにオタクっぽい。f0075557_22194847.jpg





f0075557_2220762.jpg







そんなわけで弟にキレられて牢屋にぶちこまれた。
でも、この人のおかげで化学や天文学が発達した。
しょこたんには尊敬されそうです。



というわけで、宗教対立にハプスブルグ家はあまり絡まなかったのですが、
神聖ローマにはいろいろな家があるので、過激な奴らもいました。

1608年、ファルツ家の侯爵は「俺たちはプロテスタント・ユニオンだぜ」
と名乗り、プロテスタントの結束を強めます。

1609年、バイエルン家の侯爵は「俺たちはカトリック・リーグだぜ」
と名乗り、対抗します。

ラグビーかなんかで決着をつけそうな名前ですが、
もちろんそうはなりません。

これがヨーロッパ最大の悲劇、30年戦争につながっていくのです。



【第1ラウンド ボヘミア・ファルツ戦争】

この緊張感高まる中、さっきのオタクが退位してから、
ハプスブルグ家の中でもごりごりのカトリック野郎が
神聖ローマの皇帝になります。フェルディナント2世です。

カトリック・リーグは大喜び、
プロテスタント・ユニオンは面白くありません。

そしてある日のこと

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   ボヘミア・プラハ城       |
――――――――――――――┬┘
                         |
       ____.____     |   
     |        |        |   |   皇帝の代官を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |  ∧_∧
                      ( *´Д`)   たすけてー
                       ⊂ ⊂ )
                      ⊂ ⊂ ,ノo


プロテスタント・ユニオンの本拠地ボヘミアで、
神聖ローマ皇帝の代官が窓から捨てられるという事件が起きました。

信じられないかもしれないけど、これ本当にやったんだよね・・・
1618年の「プラハ窓外放り投げ事件」です。

皇帝は当然これに激怒し、全面戦争を開始します。

f0075557_2245141.jpg






「ふざけるなー!!!」










まあそりゃ怒るわな。

プロテスタント・ユニオンは各国に救援を求めますが、
思うように軍隊が集まりません。

一方、ハプスブルグ家にはカトリック・リーグが協力します。
同盟国のローマ教皇軍やスペイン・ハプスブルグ家もやってきます。

整理しましょう。

神聖ローマ(ハプスブルグ家)
神聖ローマ(カトリック・リーグ)  VS   ボヘミア(プロテスタント・ユニオン)
イタリア(ローマ教皇領)
スペイン(ハプスブルグ家)

こんなん負けるワケねぇよ。

第1ラウンドはハプスブルグ&カトリック・リーグが圧勝します。



【第2ラウンド デンマーク・ニーダーザクセン戦争】

このハプスブルグの勝利を見て、フランスはぞーっとします。
フランスはカトリックの国ですが、だからってハプスブルグと仲がいいわけじゃない。

フランスは悩みます。そしてこのころ、北にかなり有望な国がでてきました。
デンマーク&スウェーデンです。

フランスはこいつらとチームを組み、さらにイギリスとも結託します。

整理しましょう。


神聖ローマ(ハプスブルグ家)        フランス
神聖ローマ(カトリック・リーグ)  VS    デンマーク
イタリア(ローマ教皇領)            イギリス
スペイン(ハプスブルグ家)          スウェーデン


こんな感じ。

さあ、今度はヤバイぞ。

ところで、カンのいい人はわかるかも知れませんが、
フランスはカトリックです。
イギリスはイギリス国教会です。
デンマークとスウェーデンはプロテスタント。

つまり、この時点で、もう宗教とかどうでもよくなってます。
要はハプスブルグが怖い。

宗教より政治が優先する時代になってきたってことですね。

さて、デュマの小説「三銃士」にも登場するフランスの宰相リシュリューは、
デンマークの王様クリスチャン4世をそそのかします。

f0075557_23183587.jpg


フランス宰相リシュリュー「YOUやっちゃいなYO!」

f0075557_23185731.jpg





デンマーク王クリスチャン4世「MEやっちゃうYO!」





誰だお前ら。ジャニーズ事務所でも開くのか。

でも、これにはハプスブルグも悩みます。
なんだか気がついたら周り中が敵だらけ。
しかもボヘミア戦争のせいであまりお金が無い。ピンチです。

ところがここで、ハプスブルグにとんでもない人物が協力します。

地上最強の傭兵隊長、
ヴァレンシュタインです。


ちなみに、ハプスブルグ家に味方した陸戦の将軍で、
文句無く強かったのは、このヴァレンシュタインくらいです。

f0075557_23285981.jpg

【アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン】
1583年 - 1634年



ヨーロッパには、この人の名前を取ったボードゲームがあるくらいの有名人です。
すげぇルールが難しくて、俺の貧弱なアタマでプレイするのは無理でしたが。


さて、1625年。デンマークとハプスブルグが衝突します。

戦いの神様ヴァレンシュタインはここで暴れまくった。

密集した長い槍を持った兵隊を中央に配置し、
両翼に銃と弓で武装した兵士を展開し、
戦場に現れるや相手をぶちのめします。
スペインから学んだテルシオという戦術です。

f0075557_0235435.jpg
【これがテルシオ戦術だ】


まあ、こんな奴らに襲われたら勝てる気がしねぇわな。

1629年、デンマークは「リューベックの和約」で事実上敗北宣言。

第2ラウンドもハプスブルグの圧勝でした。



ちょっと中途半端ですが、今回はここまでです。
次回はこのヴァレンシュタインの最大のライバルとなった、
スウェーデン王「グスタフ=アドルフ」が登場します。
お楽しみに。
[PR]
# by neo_logic | 2008-09-06 23:20 | ハプスブルクとヨーロッパ